「原子力映画解体」のためのメモ:『ゴジラ』
昨日に引き続き、10月6日に開催された「原子力映画解体」のためのメモ書きを晒します。
この映画、というかシリーズには、まだまだいうべきことがあると思いますが−−。
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■ ゴジラ 1954 日本 http://p.tl/momv
(2011年10月18日のツイッターを編集)
『ゴジラ』には大きく分けて3シリーズあるのだが、これは「第1期」とも「昭和ゴジラ」ともいわれる最初のシリーズの第1作目。1954年につくられたもの。もちろん白黒。
海でいくつもの船が謎の事故を起こす。大戸島の古老は、島で語り継がれる「ゴジラ」という祟り神的な怪物ではないか、と言う。古生物学者が現地を調査すると、巨大な足跡とともに三葉虫を見つける。高い放射線も検出される。そして彼らは恐竜のような巨大な生物を目撃する。古生物学者は、海底で生き延びていたジュラ紀の恐竜が、水爆実験によって甦った、と国会で述べる。
やがてゴジラは東京を襲撃する。陸、海、空の自衛隊が立ち向かうが、まったく歯が立たない。本筋に関係ない人々の反応が興味深い。ゴジラ襲撃におびえる東京では、長崎から上京して来たという女性が、東京からも疎開しなければいけないのかしら、ともらす。ゴジラが破壊する街の片隅では、母が子に「父ちゃんのところ に行くんだよ」と言い聞かせている。いずれも1954年らしい台詞だ。
ゴジラに襲われ、逃げ惑う人々の様子、医療現場、災害対策本部などの様子は、いま観るとどうしても3.11の震災を想起してしまうが、制作者たちが意識したのは、当然ながら戦時中であろう。
女性の登場人物は、ある科学者が開発していた「オキシジェンデストロイヤー」を使うべく、悪用を恐れていた彼を説得する。科学者は、水中の酸素を一瞬にして破壊するというオキシジェンデストロイヤーを、平和利用できるまで秘密にしていたのだが、彼女らの説得に折れ、それをゴジラを倒すために使うことを決意する……。
ゴジラは水爆実験によって生まれたことから、しばしば、人間がコントロールすることができなくなった原子力のメタファーであると理解される。それはそれで間違いではないと思うのだが、ゴジラではなく、結果としてゴジラを殺害することになるオキシジェンデストロイヤーこそ、使う者の意図によっては、大量殺戮にも平和利用にも使え、またしばしば人間によるコントロールの利かなくなる巨大科学技術そのものではないだろうか。オキシジェンデストロイヤーの開発者・芹沢博士の迷いは、ロバート・オッペンハイマーら原子力の生みの親たちのそれと重ならないだろうか。
映画の最後で古生物学者は、水爆実験を続ければあのような怪物が次々と生まれてくるに違いない、とつぶやくのだが、ゴジラとは、新しい技術を次々と開発するたびにそのリスクなど負の側面に直面し、それに対応する技術をまた開発してさらにそのリスクに…という悪循環を、科学的にも、政治的にも解決できない、人間そのものではなかろうか。
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