「原子力映画解体」のためのメモ:『黒い雨』
というわけで引き続き、「原子力映画解体」のためのメモを公開していきます。
今回は日本映画の『黒い雨』です。この映画について語るべきことはきわめて多く、このメモ書きもまだまた未整理なのですが、とにかく晒してしまいます。
なお当日は『チェルノブイリ・ハート』というドキュメンタリー映画も紹介しました。『黒い雨』と『チェルノブイリ・ハート』は、論点として共通するものがあり、両方とも同時に議論したいところです。が、当日用意したメモは、拙著『バイオ化する社会』(青土社)第7章からの抜粋なので、ここでは控えさせていただきます。ぜひ以下のメモと合わせてお読みいただければ幸いです。
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■ 黒い雨 1989 日本 http://p.tl/3_KI
(2012年2月10日のブログを編集)
井伏鱒二原作、今村昌平監督の『黒い雨』は “原子力映画”の古典中の古典でしょう。主演は比較的最近、若くして亡くなった、元キャンディーズの田中好子。音楽は武満徹、助監督は三池崇史。
「映画で語るサイエンス」では、何度か原子力映画を特集していますが、ある時期までこの映画を取り上げませんでした。いま考えると、核戦争や原発のことばかりに気をとられていて、現実に広島に落とされた原爆のことを忘れていたのはまずかったかもしれません。
僕は2011年の6月に林衛さんと被災地に行ったとき、盛岡で泊まったのですが、盛岡の名画座で、『黒い雨』が次の週ぐらいにかかることが予告されていました。その映画館は、たぶん震災を意識して選んだのだと思います。
僕がこの作品を初めて観たのは、恥ずかしながら震災後です。
1945年の8月6日、ある夫婦とその姪が、広島で被曝する。夫婦は爆心地近くで スーちゃん演じる姪の矢須子は少し離れたところで、“黒い雨”を浴びます。これがこの映画のタイトルになっています。「黒い雨」というのは、原子爆弾が爆発した後、降ったとされる重油のような真っ黒な雨のことで、放射性物質を含むといわれています。だからそれを浴びると、原子爆弾の光、いわゆる“ピカ”を浴びなくても、被曝するともいわれています。いわゆる「二次被曝」ですね。
なお「黒い雨」というのは、ほかの映画のタイトルにもなっています。いうまでもなく、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』です。こちらで登場人物のいう「黒い雨」は、大阪の空襲後に降ったものと説明されますが。なお偶然にも、『黒い雨』も『ブラック・レイン』も同じ1989年に公開されています。
話しを戻しましょう。子どもいない夫婦は、すでに母親のいない姪を引き取って、戦後、岡山に住むようになります。25歳になる彼女の結婚相手を探すのですが、縁談は次々と失敗します。“ピカ”を経験したということで、です。いいところまで行っても、広島で被曝したことを相手側の家族が知ると、この話はなかったことに、みたいなことが続きます。そのためおじは、医師に健康診断書を書かせたり、原爆投下当時、爆心地から離れたところにいたことを、当時の日記で証明しようとしたりします。
いまの感覚からすると、「そこまでするの?」と思わないこともないのですが、当時はそういう世相だったのでしょう。被曝者差別というものが、ほんとに根深くあったらしいことがうかがえます。
おじとおばは、徐々に体調を崩していきます。同じように被曝した人たちも、主人公も同様です。
この映画が訴えてくるのは、いうまでもなく、核そのものの問題と、被曝にまつわる差別の問題です。とくに後者は、震災以降、福島で問題になりはじめている気配があります。
たとえば、福島産の食品が、規制値以上の放射性物質が検出されているわけでもない、きわめて低い検出限界でND、つまり検出限界以下の数値しか出ていないのに売れない、という話がありました。いわゆる風評被害ですね。少し考えればわかることですが、福島産だから危険、他県産だから安全、というのはナンセンスでしょう。
いわゆる差別といえる話もないわけではありません。千葉県に疎開していた子どもが「放射能うつる」といわれていじめられたとか、福島出身の人が献血しようとしたら断られたとか、ちょっと不確かな話ではありますが、縁談が流れたなんてことも仄聞します。
こうした話をすると、「ひどいよね。放射能はうつるわけじゃないし、広島の被曝者ほどたくさんの放射線を浴びたわけじゃない」という人もいます。その点は僕も賛成です。しかしながら、僕はその説明の仕方には落とし穴もあると思います。
どういうことかというと、まず、放射能はうつらない、だから差別してはいけない、という説明だと、うつる病気、つまり感染症や遺伝病だったら差別してもよい、という前提があることになります。つまり強制的な隔離や断種といった社会防衛的手段も、場合によってはOK、ということになります。
そこまで極端なことになるかな、と思う人もいるでしょうが、少なくとも論理上は、そういうことになります。
また、広島や長崎では遺伝障害は観察されていないため、放射線による次世代への影響はないって言い切っている人がいますけれどもけど、放射線の影響というのは、もともとハーマン・マラーがX線によってショウジョウバエに突然変異を誘発した実験などから始まったことも思い出すべきでしょう。マラーはこの研究によってノーベル賞を受賞しています。
また、チェルノブイリ事故では、次世代の先天障害や遺伝障害を疑わせる知見もあります。ただしゲノムレベル、つまりDNAの塩基にわずかな変異が見られたとか、ごくごく軽微なものです。
差別批判にも落とし穴があるということは『黒い雨』でもさりげなく組み込まれています。
被曝者差別によって姪が結婚できないことを嘆くおじは、いっぽうで精神疾患を差別しています。このことはここで話すとネタバレになるのでやめておきますが、ある差別に対して抵抗・異議申し立てすると、その抵抗・異議申し立てという行為そのものが別の差別を引き起こす、言い換えると、ある人々の人権を擁護しようとすると、別の人々の人権を踏みにじることがある、ということはおさえておきたいですね。
まとめなおすと、うつらないから差別はだめ、というのは二重の意味で間違いがあります。福島の放射線の状況からすれば、可能性はきわめて低いものの、少なくとも理論上は次世代に「うつる」かもしれないとはいえること、そして、うつるのだったら差別はいいのか、という意味で、です。
福島の放射線汚染は、広島や長崎、チェルノブイリに比べて大したことがない、だから差別はいけない、という考え方にも無理があります。福島でも、たとえば原子力発電所の作業員でうっかり被曝してしまった人など被曝量が比較的高い人もいるかもしれない。では、そうした人を就職や結婚において差別していいのか? いけないでしょう。
つまり、繰り返しになりますが、一つの差別を解決しようとすると、別の差別を深刻化させてしまう可能性がある、ということです。
論理的にはそういうことになるとしますと、ではそうした差別は仕方ないことだ、と考えてよいのかというと、もちろんそうではありません。
重要なのは、差別、つまりある人間の待遇をその属性、すなわちその人の動かしようもない特性によって決定するようなこと、そのこと自体を人類は少なくとも近代以降は、少しずつ、まだまだ不十分でありますが、捨ててきたということです。
ようするに、「属性主義」はあまりよくないことで、「能力主義」のほうがはるかにましだ、と多くの人が考えるようになったということです。もちろん、能力主義も行き過ぎは問題があると思います。(いわゆる格差など、新自由主義、いわゆるネオリベラリズムが引き起こす問題は、基本的にはそれが能力主義に基づいているからです。)それでも属性主義よりはずっとましでしょう。その属性主義がいわゆる差別の根源ともいえます。つまり、その人それぞれの能力や個性ではなく、ユダヤ人だから、黒人だから、朝鮮人だから、という理由で人々の待遇を決めるということを、そうしたら正当化できるでしょうか?
そういう考え方がどんな深刻なことを引き起こしたかというと、最終的にはアウシュビッツに行き着くわけです。
では、実際に「うつる」病気についてはどう考えるべきなでしょうか? 差別してもOKなのでしょうか? 実際、感染症や遺伝病が存在するのは自明です。
その問いに答えるのは少し難しいです。強制的な隔離や断種といった措置は、僕としては考えるだけでも嫌ですが、まずは医療上のケアなど、本人にとって利益になることを補償としたうえで、さらにできる限りの説明をつくして、同意を取って実施する、という道筋も考えられるでしょう。少なくとも、感染症にはあるていど適用できると思います。ただしそれを遺伝病や、放射線の遺伝障害に適用できるかどうかは、いまのところ確信できません。
この問題について議論し続けることはきわめて重要だと思います。そのための素材としては『黒い雨』は最適でしょう。
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