『CASSHERN』再考

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諸事情で『CASSHERN』をDVDで観た(「諸事情」については近日中にまた書く)。もちろん再見。周知の通り、僕らが子どものころに放映されていたテレビアニメを実写でリメイクした作品なのだが、僕は原作のほうはあまり覚えていない。が、あちこちに書かれている通り、いくつかの基本的設定以外は、原作とはほとんど関係ない作品である。映画ではよくあるパターンだ。
2004年公開の作品で、上映当初はボコボコに批判されていたように記憶している。しかし僕は、ほぼ同時期に観た『デビルマン』の実写版があまりにひどかったので、『CASSHERN』にはそれほど悪い印象はない。
2004年4月という時期は微妙で、ソウル大学のファン・ウソク教授(当時)がヒトクローン胚からES細胞をつくったという第一報を公表してしばらくのときである。iPS細胞は存在していない。
「新造細胞」はどうしても幹細胞を彷彿とさせる。博士が新造細胞の理論を発表した場面では、それを聞いていた科学者から、われわれの研究しているクローン技術のほうが展望がある、と声があがる。その後、現実世界では、ファン・ウソクらの不正(卵子の「不正」入手と論文捏造)が明らかになり、iPS細胞が登場した。いま見直すと、新造細胞は、後に登場するiPS細胞を予見していたようにも思える……が、考えすぎであろう。また、新造人間についても“オチ”というか、あることが最後のほうで明らかになるのだが、ファン・ウソク事件を彷彿とさせなくもない……が、やはり考えすぎであろう。
テレビアニメが原作であるにもかかわらず、単純な勧善懲悪のストーリーではなく、全体的に暗いトーンがただよい、人間とは何か、人間はなぜ生きるのか、という哲学的なテーマを投げかけてくる作品である。そのことは間違いない。
であるにもかかわらず、傑作かと問われると、やはり首を横にふりたくなる。その理由は何か。その1つは、やはり既視感が強すぎるためであろう。
主要なテーマは『ブレードランナー』、というか『フランケンシュタイン』以来、何百回も繰り返されてきたこと。重苦しい設定でつくられたディストピア的な世界およびそれを表現する映像も悪くないのだが、これまた『ブレードランナー』にも『イノセンス』にも似ている。というか、『イノセンス』自体が明らかに『ブレードランナー』を意識してつくられたものであることは周知の事実なのだが。
バイオを含むテクノロジーが発展した一方で、戦争と環境破壊を克服できていないディストピアを描いた作品は無数にある。『CASSHERN』もそれらを踏まえてつくられているのだろう。しかし、それらからほとんど踏み出してはいないように思われる。
日本でつくられるSF映画で評価できるのはアニメだけで、実写は無理なのだろうか。最初に劇場で観たときにもそう思った記憶がある。それからもう7年が経っている。


追記:
CASSHERN』がいくつもの重要なメッセージを問いかける作品でありながらも、いまひとつだという印象がぬぐえない理由の1つとして、描かれている(空想されている)世界観が古い、というか、リアリティに欠けているということがありそうだ。世界観というより国家観というべきか。同作で描かれている日本は、大日本帝国の延長にあるような軍事国家である。これではまったく現実感がない。2000年以降につくる作品であれば、描かれるべき未来社会は「民営化された国家」であろう。『スカイ・クロラ』も『第九地区』も、軍事やインフラ部門まで民営化された国家の姿を描いていたが、ここ数年の現実世界での状況を考えれば、かなりリアリティのある設定である。それを早くも1980年代に『エイリアン』でやってのけたリドリー・スコットは、『ブレードランナー』を別格としても、やはり偉大なのかもしれない。