『悪人』

 土曜日だが、身体は自然に御茶の水に向かってしまう。
 昨晩、中途半端なところで終わった仕事を、キリのいいところまで続ける。
 夕方、もちろん平日よりは早めに切り上げ、せっかく都心に出てきたので、映画でも観ようと思った。『キャタピラー』はどうかなと思ったのだが、ネットの映画サイトであらすじを読んでみると……ちょっと重そう。いまは観る気が起きない。『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』というドキュメンタリー映画も、2006年のオランダ出張が思い出され(国立美術館にも行ったのだ)、気になったのだが、渋谷まで足を伸ばす気にはなれなかった。
 結局、いちど帰室し、プールに行って、また帰室してから、いつものシネコンで、『悪人』を観る。これもまた、重い話だったのだが……。
 原作は吉田修一。吉田といえば、何年か前に『7月24月通りのクリスマス』を観て、いまいち納得できず、試しに原作の『7月24日通り』を読んでみて、感心したことがある(僕は映画を観てから原作を読むというパターンが結構多い)。そのときは「結末は原作のままでよかったのでは?(映画のハッピーエンドは安易すぎる)」と思った。その後、同じ著者の小説作品をいくつか読んでみたが、どれもいまひとつで、残念に思った記憶がある。
 今度も映画が先。悪くなかった。前評判の通り、なかなかの佳作だと思う。深津絵里の演技がすばらしかったことはいうまでもない。
 地方都市に生きる孤独な人と人が出会い、逃避行を続けるという展開は、どことなくニューシネマを彷彿とさせた。そしてそれを、罪を犯した人のほうから描く、という手法も。罪を犯した人はどんな場合でも「悪人」なのだろうか? 誰か、あるいは社会そのものが彼らを追い詰めたのではなかろうか? ドストエフスキーからニューシネマ、そして現在の文学や映画まで貫いている普遍的な問いがこの作品でも問い直される。
 時間があったら原作も読んでみよう。
『告白』も悪くなかったし、この作品もいい。そういえば、上映前、例の、僕が生まれた年が舞台となる青春映画――青春小説の映画化作品――の予告編を初めて観た。背筋がぞくっとした。まだ本編を観ていないので、いまはそれだけしかいえないが。
 ここ数年、僕は邦画に失望し続けてきたが……今年はもしかして日本映画の年なのだろうか。日本映画だろうと、外国映画だろうと、作品がよければそれでいい。いい作品はいいし、悪い作品は悪い。偏見は持たないほうが得である。