『ブラック・スワン』

昨夜のことだが――近所のシネコンで『ブラック・スワン』を観る。いわずと知れたダーレン・アロノフキー監督、ナタリー・ポートマン主演の話題作。ポートマン演じるバレリーナが、『白鳥の湖』のプリマに抜擢される。彼女は、かつてバレリーナであった母親とともに、すべてをバレエに捧げる日々を送っている。
そんな彼女にとって、その抜擢は夢の実現であったが、同時に激しいプレッシャーをともなうものでもあった。ライバル、振り付け師、母親との微妙な関係のなかで揺れ動きつつ、彼女は次第に心に変調を来していく…。
劇団などエンターテインメント業界を舞台に、ヒロインがキャリア的にも人間的にも成長していく、というストーリーの映画はやまほどある(僕の世代にとって懐かしいところでは『Wの悲劇』など)。『ブラック・スワン』もそのような青春映画のような舞台装置を持ちながらも、そこにサイコスリラーの要素が加わる。主人公(と母親)に何か病的なものがあることは、わりと最初のほうで示唆される。主人公が心を病んでいくにつれて、その異様な経験を観客も共有することになり、現実と幻との区別がつかなくなる……という展開も、すでに見慣れたものである。
といいつつも、映画の完成度はきわめて高いと思う。次の展開を想像しつつ、ドキドキながら観ることのできる逸品であった。むしろ残念なのは、僕自身かもしれない。僕はすでに映画を観すぎているため、どうしても過去の同分野の映画を思い浮かべてしまう。また、作品に関する情報が、観る前に入ってきてしまう。『パーフェクト・ブルー』との類似性や、ダンス・シーンの替え玉論争など、知らないほうがよかったかもしれない。でも……ある程度のリテラシーがあると文学作品をより深く読むことができ、科学ニュースの背景が理解できるように、映画についてもある程度のリテラシーがある、というか、鑑賞経験が深いほうが、いいこともあるような気もする。
ちなみに経済学などで、それまでの知識や理論からは考えられないような現象が起こることを、「ブラック・スワン」という。『ブラック・スワン』は、映画を見慣れていない人にとってはブラック・スワンを含む作品だと思う。しかし僕は、わりと最初のほうでオチを読めてしまった。これまたよくあることなのだが…。やはり下手な知識などないほうが、映画を楽しむという目的においては、いいのかもしれない。