『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』

夜、近所のシネコンで『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を観る。毎月14日はシネコンのサービスデイなので1000円で観れたのだが、ナイト料金はもともと1200円なのであまりお得感はない。
またシリーズものは、最初のものから順番に観ていないとわからないという先入感があり、かつ、僕は『X-MEN』シリーズをずっと観ていなかったので、この作品を観る予定はなかった。しかし、とある事情で急に興味を持ち、観てみた次第。もちろん、最近のシリーズもの映画は、観客が前作を観ていなくてもある程度わかるようにつくられており、前作を知らない点についてはまったく問題なかった。
そのうえで、十分に面白かった。物語は第二次世界大戦中から始まる。ヨーロッパ各地で、超能力者たちが目覚め始めた。戦後、ある者はナチ・ハンターとなり、ある者は科学者になった。そして冷戦時代、キューバでミサイル危機が起きる。しかしその背後には、人類を破滅させて支配しようとする超能力者たちと、人間たちと共存しようとする超能力者たちとの戦いがあった、というのが物語の大筋である。
ときには「ミュータント=突然変異体」と名乗ったり、呼ばれたりする彼らも、実に人間臭く、友情があり、確執があり、成長があり、愛がある。最終的に、人間たちと共存を求める側の超能力者たちによって、第三次世界大戦は阻止されるのだが、その後、彼らもまた、2つの勢力に分離することになる。そのことが、これまでの『X-MEN』シリーズの前日談になるらしい。僕はそれを先に観てしまったことになる。僕はこれから旧シリーズを観るとしよう。
なお監督は『キック・アス』のマシュー・ヴォーン。面白いはずだ。ところどころに核と遺伝子のメタファーが織り込まれた演出もなかなか気が利いている。
ついでながら、「ミュータント」と聞いて、偶然思い出さずにいられなかったのは、先日観たドキュメンタリー『沈黙の春を生きて』である。『沈黙の…』で登場した先天障害者やその家族も、社会との共存を望んでいたが、障害はあくまでも「負」の存在として描かれていた。『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』でも、そのような存在として社会がみなそうとするのだが、それに対しはっきりと抵抗を示し、ミュータントであることを誇りに思う、と強く主張するキャラクターがいたことは特筆すべきだ。それとも、そんなのはフィクションの話で、単なる理想主義なのだろうか。