“アンプラグド”で“裏ベスト”な元ちとせ
昨日のことだが----。
駅の改札を出ると、潮の匂いがした。
ここは逗子市。デイパックのなかには、折りたたみ傘のほか、ずっと前に100円ショップで買った(使い捨て?)雨合羽、それに湿布など(苦笑)。自室を出たときには雨が降っていたが、すでに小雨になっていた。傘をさす必要はなさそうだ。
街の雰囲気は、僕が住んでいるところとは明らかに違う。ましてや、海辺は。デジカメを持参する習慣が、身体を壊して休養していたあいだに途絶えてしまい、そのままになっていることを僕は後悔した。
1時間半もかけてここにやってきたのは、元ちとせのライブを聴くためである。
いわゆる“フェス”の類に足を運ぶほど、僕は若くない。このライブも、夏のあいだだけ砂浜に建てられるライブハウス「音魂 OTODAMA SEA STUDIO」での、イベントの一環らしいのだが、この日は彼女のワンマン。つまり事実上、ツアーと変わらない。だから時間をかけてやってきたわけだ。
会場に着いたのは、4時過ぎだったと思う。建物からリハーサルの音が聴こえてきて、いきなり僕は凍りついてしまった。
♪北の街へ届けたい
わたしの歌を
君の胸に届けたい
コトノハ ヒトツ ♪
----「コトノハ」
インディーズ時代の名曲だ。リハーサルらしき音はこれで終わった。“逆リハ”という常識が踏まえられるとしたら、1曲目は「コトノハ」か……あるていど音楽に詳しくなってしまうことで、楽しみが減ってしまうこともある。ま、いいか。
周りを見渡すと、若い人が比較的多いが、僕のようなおっさん(や若干のおはばん)も少なくない。元ちとせの音楽性を考えれば、なんとなくわかるような気がする。
5時。開場時間となり、チケットの整理番号を呼ばれ、2列に並ぶ。僕の番号は28番。身分証明書の提示を求められた。アルコール販売を制限するためらしい。「オール・スタンディング」と告知されていたので、立ち観を覚悟していたのだが、会場に入ると、椅子が並んでいて、前から3列目の席を取ることができた。これでゆっくりと座って聴くことができる。しかもステージに手が届きそうな距離だ。
そのステージが狭い。ということは……あるていど音楽に詳しくなってしまうことで、楽しみが減ってしまうこともある。ま、いいか。
6時。ほとんど予定時間通りにライブは始まった。元ちとせ本人のほかに、バンドは3人だけ。チェロ(女性)、パーカッション(女性)、アコースティック・ギター(男性)。予想通り、フルバンドではなかった。このライブは、“アンプラグド(死語?)”だったのだ! ところでギターのおっさんは誰だろう。石成真人ではない。ドクター・キョンでもない。もちろん山崎まさよしでもない……。
1曲目は予想通り、「コトノハ」だった。この曲を含めほんの数曲では、録音済みの音源が使われたが、それ以外はほとんど生演奏だった。
これまでのライブ映像を観る限り、元ちとせはあまり動かずに歌う人、という印象があったが、そんなことはなく、彼女は動きまくっていた。
驚いたのは、バンド編成だけではなかった。ほんとうのサプライズは選曲だったのだ。
ふつう、コンサート・ツアーでは、ニュー・アルバムからの選曲が中心となる。そのほかは主にシングル曲で、過去のアルバムからシングルになっていない曲(あるいはシングルのカップリング曲で、オリジナル・アルバムに収録されていない曲)が演奏されると、ファンとしてはちょっとうれしかったりする。
いまは、前作のアルバム「ハナダイロ」からも、現時点での最新シングル「あなたがここにいてほしい」からもそれなりに時間が経っており、ニュー・シングル「蛍星」、ニュー・アルバム「カッシーニ」の発売直前という微妙な時期だ。僕は、おそらくシングル曲のメドレーになるんじゃないかな、と予想していた。ところが……。
3曲目か4曲目に「散歩のススメ」が演奏されたときには、ほんとに驚いた。この曲はシングル「いつか風になる日」のカップリング曲で、オリジナル・アルバムには収録されておらず、ライブ盤「冬のハイヌミカゼ」にライブ・バージョンが収録されているのみの曲である。
僕はこの曲に、個人的な思い入れを強く抱いている。
♪更紗のワンピースは
姉さんのおさがり
彼女の淡い恋も連れてゆこう
tu tu tu … ♪
----「散歩のススメ」
この歌詞の行間からあることを想像してしまうのは、僕の読み込み過ぎだろうか。「tu tu tu ……」と歌うとき、元ちとせが、みんないっしょに、と言ってマイクを観客席に向けたとき、僕は……ま、いいか。彼女の意図を裏切ってしまった。ひどいファンだ。
そのほか、「ハイヌミカゼ」からは「ひかる・かいがら」と「心神雷火」、「ノマド・ソウル」からは「百合コレクション」(あがた森魚のカバー曲)が演奏された。「ハナダイロ」からは「はなだいろ」と……なんと、「恐竜の描き方」が演奏された。
これまた個人的に思い入れのある曲である。前回のツアーを観逃してしまったので、ライブで聴くことはできないだろうと思っていた曲だ。
♪歩き出した巨大な影の背に乗って
私は何を踏み潰したのだろう
ケモノにも鳥にもなれなかったあなた
空を見上げ吠えてみせてよ ♪
----「恐竜の描き方」
残念ながら「ハナダイロ」のオープニング曲「羊のドリー」は演奏されなかった。iPS細胞が登場してしまったからだろうか(ここで笑えるのは、僕の読者だけ?)。
いずれもシングル曲ではない。
シングル曲で演奏されたのは……現時点での最新シングル「あなたがここにいてほしい」と、7月2日に発売予定の「蛍星」は当然としても、そのほかは「ワダツミの木」だけだったのではないか。僕の記憶が正しければ、だが。(追記:どうやら僕の記憶違いで、いくつかのブログなどで示されているセットリストによれば、「いつか風になる日」が歌われたようだ。そういえばそうだった。なおそうしたセットリストには、どれも情報源が明記されていない。みんな、自分の記憶で書いているのかもしれない。僕の記憶よりは信頼できると思う。)
アンコールのとき、メンバーが紹介された。チェロとパーカッションの女性は知らない人だったが、ギターの男性は間宮工だった! インディーズ時代からずっと、(いまは亡き上田現と並び)元ちとせの名曲の数々を作曲・編曲してきた人物である。
そしてアンコールの1曲目は「Perfect」(「春のかたみ」のカップリング曲で、フェアグランド・アトラクションのカバー)、2曲目は「おやすみ」(「君ヲ思フ」のカップリング曲)だった。どちらも、どのアルバムにも収録されていない曲である。
ようするに、今回の選曲は、元ちとせ“裏ベスト”だったのだ。それらを“アンプラグド”で聴けたのだ。しかも近距離で。何度も鳥肌が立ってしまったライブだった。
会場を出ると、演奏のあいだ、雨漏りが気になるほど降っていたらしい雨は、また小雨になっていた。
そして僕は、日常に戻らざるをえなくなった。08.6.30
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