自殺と殺人----白書からデュルケームへ

 昨日のことだが、NPO法人ライフリンク」のプロジェクトチームが「自殺実態白書」をまとめ、ウェブサイトで公表した。
 この件は各メディアで報道されたが、『毎日新聞(毎日jp)』がその要点を比較的わかりやすくまとめている。

 全体では遺書のあった人の動機は(1)経済・生活問題(2)病苦など(3)家庭問題の順に多かった。〔略〕
 自殺の理由は一つではなく、平均で四つの「危機要因」を抱えていることが分かった。
 自殺した305人の遺族や知人から聞き取り、背景事情として家庭や健康、経済問題などにかかわる68項目を「危機要因」ととらえて調査。その結果、自殺時に危機要因が一つしかなかった人は4%だけで、平均で四つの危機要因があった。
 危機要因は(1)うつ病(2)家族の不和(3)負債(4)身体疾患(5)生活苦(6)職場の人間関係(7)職場環境の変化(8)失業(9)事業不振(10)過労−−の順に多く、上位10項目で全体の約7割を占める。それぞれの要因は互いにつながっており、会社員なら「配置転換↓過労や職場の人間関係悪化↓うつ病」、経営者なら「事業不振↓生活苦↓多重債務↓うつ病」といった経路が典型的だった。失業といじめ、アルコール問題と家族の死亡など、因果関係がはっきりしない要因が連鎖しているケースもあった。(玉木達也、清水健二「自殺実態白書:自殺に地域性あり 高リスク地を一覧に 山梨・富士吉田署管内が最多」、『毎日新聞』2008年7月4日付東京朝刊

 ある社会----ある地域に住むある人々の集団という、緩い意味での社会----の幸福度(あるいは不幸度)を推し量る客観的基準としては、平均寿命や犯罪の頻度などさまざまなものが考えられるが、僕は、自殺の頻度(絶対数や人口あたりの発生数)が説得力を持つと思う。つまり幸福な社会ほど自殺の頻度が少ない。
 僕の見解はともかくとしても、日本社会の平均寿命は長く、犯罪の頻度は少ない(国際的に見ても、年次推移で見ても)。後者について、したり顔で言う人がいるが、そんなことは社会問題に少しでも興味を持っている人にとっては常識の範疇に入る。
 社会問題について真面目に考えている人ならば、必ず参照しているであろうウェブサイト「社会実情データ図録」の「他殺による死亡者数の推移」などによれば、日本で本当に深刻なのは、犯罪よりも自殺であることがすぐにわかる。
 社会学創始者の1人に数えられるエミール・デュルケームもまた、名著『自殺論』(中公文庫)で、次のように書いている。

今日の自殺は、まさしくわれわれを悩ませている集合的な疾患を反映しているひとつの形態にほかならない。それゆえ、自殺の研究は、その疾患を理解するための一助となることができるであろう。(13頁)

 1897年のヨーロッパで書かれたこの一文は、2008年の日本においてもなお、有効性を持っていると思う。今回の「自殺実態白書」の重要性は高い。
 日本では犯罪の頻度は低いとはいっても、先日の秋葉原の事件など、気になることは多い。秋葉原の事件や7年前の池田小事件について、これまたしたり顔で、「間接(的な)自殺」だ、と主張する人たちがいるが、これはおそらくメディアでのコメンテーターの発言や『ウィキペディア』の説明が1人歩きしたものだろう(後者によれば、もともとはロンブローゾが提案した概念らしい。僕は未確認)。
 これについてもまた、デュルケームは次のように書いている。 

一般の風俗の穏やかなところ、また血を流すことを忌みきらうところでは、敗者はあきらめに達し、その無力さを告白して、自然淘汰の結果がおとずれる前に生から身を引くことによって、闘争からも身をしりぞけるであろう。それにひきかえ、一般の風俗がもっと荒々しい性格をおびているところ、また人間の生があまり尊重されていないところでは、敗者は反抗し、社会に向かって挑戦し、自殺の代わりに殺人を犯すことになろう。要するに、自殺も殺人もともに暴力的な行為である。ところが、あるときには、これらの行為を生じさせる暴力は、社会的環境のなかで抵抗に出会わずに展開し、そのばあいには殺人となる。またあるときには、世人の意識のおよぼす圧力のため、外部に現れるのをさまたげられ、内攻し、その源になっている当人自身がその暴力の犠牲となる。
 それゆえ、自殺とは、変形され、また弱められた殺人ということになろう。(同前、431〜432頁)

 いまの日本はおおむね、「一般の風俗の穏やかなところ、また血を流すことを忌みきらうところ」だといって問題ないと思うが、そのなかでさまざまな悲劇的な条件の重なりによって起きた例外事例、そして最悪の悲劇が、池田小事件や秋葉原事件なのかもしれない。
 雨宮処凛氏によれば、「硫化水素自殺」の多発を受けて企画されたイベントに、急遽、「無差別殺人」が付け加えられたらしい(「「ストップ硫化水素自殺」「ストップ無差別殺人」の巻」)。感慨深い。08.7.5



自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)