iPS細胞と「生物学的市民」

 みなさん、オリンピックに夢中なのでしょうか。僕はほとんど観ていません(グーグルの「ストリートビュー」にはまっていたりして(笑))。ここではいつものように「中日新聞」を読んでいるのですが、同紙によると、今回の開会式では、半島の南北両国はいっしょに入場しなかったとか。グルジアでは紛争が起きたようだし。「平和の祭典」の開催中にもかかわらず、世界はあいかわらず。
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 先日、アメリカの研究チームがALS患者の体細胞からiPS細胞を樹立したという報告がありましたが、今度は一本の論文で、複数の種類の難病患者の体細胞でiPS細胞を樹立したことが報告されたとのことです。

難病患者の細胞からiPS細胞、原因解明に期待…米研究チーム

【ワシントン=増満浩志】筋ジストロフィーダウン症、糖尿病、パーキンソン病など、10種類の病気の患者から採取した細胞を使い、様々な細胞に変化できる新型万能細胞(iPS細胞)を作製することに、米ハーバード大などの研究チームが成功した。〔後略〕

 疾病のメカニズム解明が当面の目的のようです。その結果、候補として提案される治療方法が、薬になるか、「再生医療」になるのか、それはまだわからないのでしょう。研究者もマスコミも、微妙に言葉遣いを修正していますね。いいことだと思います。僕としては、このさい、「万能細胞」という言葉もやめてほしいものです。ES細胞やiPS細胞をまとめて呼ぶときには「多能性幹細胞」と書けばいいのだから。
 それはともかくとして、アメリカなどでは、患者団体や障害者団体が遺伝学者など研究者に直接コンタクトし、自らの細胞などを提供し、研究(治療やQOL向上の方法の開発)を促すとともに、政治家や行政にも働きかけて、そのための予算を獲得しようとする、という運動があります。その結果、疾病の原因遺伝子が特定された、ということもあるそうです。そうした現象は当初、「遺伝学的市民genetic citizenship」と呼ばれたようですが、社会学者ニコラス・ローズはその概念を拡張し、「生物学的市民biological citizenship」と呼びました(『生それ自体の政治』、プリンストン大学出版、2006年、未訳)。
 幹細胞の分野でも、同じような動きがきっとあるのでしょう。僕が知らないだけで。日本でも。
 韓国の「ファン・ウソク事件」では、ファンらに卵子を提供した女性たちのなかには、難病患者や障害者の家族が多かったそうです。観方によっては、彼女らは「生物学的市民」だったともいえそうです。しかし、クローン(体細胞核移植)という行為の特性上、そのリスクが片方の性だけに偏ったわけです。そのうえ、周知のとおり、彼らの成果も捏造でした。「生物学的市民」の、最悪の失敗例です。
 iPS細胞では、そうした失敗を他山の石として、研究が進んでいってほしいものです。

The Politics of Life Itself: Biomedicine, Power, and Subjectivity in the Twenty-first Century (In-formation)

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現代思想2008年7月号 特集=万能細胞 人は再生できるか

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