『シリアの花嫁』

 僕のところには月に数通、いくつかの配給・宣伝会社から映画の試写状が届く。以前はもっと多かったが、最近は少ない。そのほとんどは、小予算で制作され、ミニシアターでかかる作品である。僕の好みのものが多く、たいへんありがたい。今日の午後、京橋の映画美学校で試写を観た『シリアの花嫁』もそんな1本。
 設定と背景がやや複雑である。舞台は主にイスラエル占領下のゴラン高原。主な登場人物は、イスラム教少数派の「ドゥルーズ派」の人々。彼らの多くは「無国籍」らしい。その1人の女性、モナがシリアの男性(人気俳優のタレル)に嫁ぐ1日が描かれる。イスラエルとシリアのあいだに国交はなく、いちどシリアに渡れば、二度と故郷には戻れないという。物語は主にモナの姉アマルの視点から描かれる。家族の設定がまた複雑。姉妹の父ハメッドは親シリア派で、警察との折り合いが悪い。アマルとその夫アミンとのあいだには心の行き違いがある。その娘たちは微妙な年頃。長兄ハテムは、保守的な地元社会に逆らってロシア人女性と結婚。次兄マルワンは仕事で外国を飛び回っている。モナの国境越えのために働く国連職員ジャンヌ(フランス人)は、マルワンの元恋人。弟はすでにシリアに住んでいる。
 結婚当日。ささいなルール変更のために、モナは国境を越えられない。ジャンヌはその手続きに奔走するが……。僕も最近、某独立行政法人の官僚的体質のために、たいへん不快な経験をしたが、官僚制の弊害は世界共通らしい。結局、モナは……。
 国境を挟んで、2つの国に住む近親者どうしがメガフォンで近況を伝え会うシーンは、アンゲロプロスの諸作品を彷彿とさせた。
 使われている言語は、アラビア語ヘブライ語のほか、英語の台詞も多い。ロシア語とフランス語も少しだけ使われる。僕はなぜか、多くの言語が飛び交う映画が昔から好きである。監督はイスラエル人(シリア人ではない!)だが、予算はフランスとドイツからも出ているようだ。
 もちろん秀逸。昨年観た『ボルベール』や『サラエボの花』と同じく、“家族の時代の終わり”にふさわしい佳作であろう。08.11.27