不都合な幹細胞

 GWですが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
 空気を読まずに幹細胞について。「カユカワさんって、幹細胞のことしか知らないのですか?」って声が聞こえてきそうですが、ほっとけ。
 アメリカやイギリスでは、ES細胞を使う臨床試験へのカウントダウンが始まっています(アメリカではジェロン社がすでにFDAの認可を得ており、イギリスではロンドン大がファイザーとの提携を打ち出しましたね)。一方、iPS細胞では、カリフォルニア州のバイオベンチャー、アイズミ・バイオ社が京都大学と提携することを発表しました。これも臨床試験を視野に入れているのかも知れません。
 イギリスの『ニューサイエンティスト』誌(含むウェブサイト)は、しばしば他媒体とは違う切り口の記事を読ませてくれますが、この件、とくに後者について、いつものように面白おかしく分析しています。

 胚性幹細胞の反対派は、元副大統領のアル・ゴアによってなされた先週の投資を、胚性幹細胞(ES細胞)研究を攻撃するための新しい口実として使っている。
 この攻撃は、一部の共和党員を、不格好なポジションに置いた。そのポジションは、そのほかの点ではアル・ゴアの映画『不都合な真実』が2006年に示したことへの同意を嫌う人をサポートするものだ。
 ゴアは4月14日、彼がパートナーになっているベンチャー・キャピタル企業がiPS細胞(人工多能性幹細胞)技術に2000万ドルを投資していることを発表した。その技術は、普通の皮膚細胞から胚様の細胞をつくることを可能にする。
 ES細胞は、抽出のあいだに破壊されるヒト胚に由来するので、それらを使う研究は、胚の破壊の反対者から不道徳とみなされてきた。
〔略〕
 ゴアのベンチャー・キャピタル企業、クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズは、サンフランシスコの会社アイズミ・バイオと京都大学とのあいだのジョイント・ベンチャーに2000万ドルを投入している。京都大学では、山中伸弥が2006年にiPS細胞をつくる方法を発見した。
 その目的は、パーキンソン病筋萎縮性側索硬化症などの変性疾患の治療法を開発することである。
 しかしこの投資はES細胞技術の拒否であるように見えるため、アメリカの右翼のなかには、それ〔ES細胞技術〕への反対を繰り返すためにゴアの立場に飛びついた者もいた。
 彼らはまた、それ〔ゴアの投資〕を、元大統領ジョージ・ブッシュによって2001年に課された、国のES細胞研究への7年もの制限を解除した、バラク・オバマ大統領の最近の行動を攻撃する口実として使った。
ES細胞研究への連邦予算支出についてのオバマの発表に喜んだ科学者たちは、研究における道筋はすべて追求されるべきである、と主張しています。どのようなものであれ、と。しかし『どのようなものであれ』というのは問題です。私たちの苦痛の種であります」と、コラムニストのキャスレーン・パーカーは、「右翼はアル・ゴアを称える」というタイトルで、ブログに書いた。〔略〕(アンディ・コグラン「保守派、ゴアの「倫理的な」幹細胞投資を誉め称えるConservatives laud Gore's 'ethical' stem cell investment」、『ニューサイエンティスト』2009年4月20日

http://www.newscientist.com/article/dn16990-conservatives-laud-gores-ethical-stem-cell-investment.html

 アメリカの「右翼」というか、共和党支持派というか、保守派の人々にとっては、ES細胞は「不都合な幹細胞」で、iPS細胞は「都合のよい幹細胞」のようです。
 ところで、幹細胞研究への投資という現象は、社会学者ニコラス・ローズのいう「幹細胞の資本化」と呼べそうです。あるいは、それが成立している状況を、人類学者サラ・フランクリンのいうように「倫理的な生-資本ethical biocapital」と。あるいはカウシク・サンダー・ラヤン----表記、これで正しいかな?----のように、単に「生-資本biocapital」と。
 僕が気になるのは、そのような生-資本制社会のなかで、「人間」はどのように扱われるのか、ということです。幹細胞研究とは一見関係ない文脈のなかで、ある人間が余剰胚のように扱われ、さらには余剰胚以下の存在として扱われているように見えるのは、僕の気のせいではないでしょう。09.5.3

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