追伸----分子と分母について

終日、図書館で作業。でも作業内容はいつもとは違ってテープ起こし(音声データ起こし?)。約90分のインタビューを5時間ほどで起こし終える。もう少し効率よくできればいいのだが……。場所もいつもの社会人席ではなく、ビジネスルームと呼ばれるパソコン持ち込みができる部屋。ネット接続も申請すればできるのだが、僕はしなかった。
夕方に引き上げ、いちど帰室してからプールへ。いつものようにストレッチとウォーキングに励み、また帰室。
図書館での作業とプールでの運動を挟んで、朝に1本、夜に3本、ゲラを戻す。執筆の仕事ももちろん大切にしたい。
          ※
昨日、現在発売中の『メディカルバイオ』9月号で、ダン・ガードナー著『リスクにあなたは騙される』(早川書房)の書評を書いた、と述べた。
実は、この書評原稿を書く過程で引っかかったことがある。
カナダ人の著者は、僕たちが身の回りの物事のリスクについて過ちを犯しやすいことの例として、アルコールと「違法薬物」を引き合いに出す(「違法薬物」にはマリファナからヘロインまで含まれるらしい)。

〔アルコールは〕中毒や、心臓血管の病気、胃腸障害、肝硬変、癌、胎児性アルコール依存症、飲み過ぎによる死をもたらすことであり、これは疑問の余地なく、違法薬物すべてを合わせた場合よりはるかに多くの人を死亡させてきた薬物なのである。(181頁)

面白い指摘だと思ったのだが、少し気になった。「リスク」を問題にするのだったら、「確率」を問題にしなければならないはずである。つまり必要なのは「絶対数」ではなく、「分子」と「分母」である。
このセンテンスに付いている脚註には、

 たとえば二〇〇四年の『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』誌で、アルコール年間死亡者数を八万五〇〇〇と産出しており、すべての違法薬物による年間死亡者数は一万七〇〇〇となっている。ほかの国ではこの二つの差はさらに大きい。(465頁)

とある。
僕はこの本と著者に対してやや好意的に解釈し、この指摘が意味するのは、ある地域(具体的には国土)に住む人口集団(国民)に対するリスク----脅威----が、薬物よりもアルコールのほうが高い、ということではないだろうか、と思った。つまり分母は国民人口。そして引かれている絶対数が分子。
ところが肝心の国名が、上記に引用した本文にも脚註にも書かれていないのだ。本文では、直前のセンテンスではイギリスの例が引かれている。次のセンテンスではカナダの例が引かれている。しかしこのセンテンスに国名は含まれていない。脚註には「ほかの国」とあるのだが、どの国に対する「ほかの国」なのかがわからない。国民人口がわからなけば、分母もわからない。
さらにいえば、情報源の書誌情報が不十分である。巻や号、ページ数が書かれていない。これでは興味を持っても確認できないではないか。
どうしても気になるので、まずは『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン(NEJM)』のサイトを検索してみたところ、それらしき論文は出てこない。それでほかのソースをいろいろとあさってみたところ……結論としては、この数字は、CDC(疾病管理センター)が2000年のアメリカのデータを対象にして試算し、2004年に公表したものだった。しかも発表媒体は『NEJM』ではなく、『アメリカ医師会雑誌(JAMA)』だった!


Actual Causes of Death in the United States, 2000
http://jama.ama-assn.org/cgi/content/abstract/291/10/1238


どうしてこの情報源をたどれたかというと、アメリカでわき起こっているらしい「マリファナ合法化論争」で、あちこちに引用されていたからだ。
著者の書き方がまぎらわしいうえ、ケアレスミスのせいで混乱させられた。訳書では上記のように書誌情報が不十分なのだが、原書ではどうなのだろう。科学書に限らず、翻訳書で文献註を省略するという悪癖は、ぜひやめていただきたい(昔よりはマシになったと思う)。
とはいえ、アメリカの人口(約3億1400万人)を分母にすれば、著者の指摘は納得できる。また、この本が良著であるという僕の総合的判断は変わっていない。しかし、この件にこだわったことについて、「カユカワさんはお酒飲まないからね〜」という声がどこかから聞こえてきそうだ(苦笑)。
翻って日本の新型インフルエンザの動向を見ると、7月24日に確定症例数の把握をやめてしまってから、死者が出た。したがって、単純に確定症例数を分母にし、死亡者数を分子にすることによって「致死率」を出すことはできない(こんな子どもじみた算数ではなく、研究者による別の試算はある)。ならば、人口全体に対する脅威ということで、日本の国民人口(約1億2800万人)を分母にしたらいかがであろう。そうすれば、新型インフルエンザの脅威とインフルエンザ全般の脅威を理解できる。
新型インフルエンザは忘れてもいい。日本については。しかし超過死亡概念を含めれば毎年1万人がインフルエンザで亡くなっていることは直視すべきだ。09.8.22

Medical Bio (メディカルバイオ) 2009年 09月号 [雑誌]

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リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

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