動物や人間を捨てる社会

京橋の映画美学校で、『犬と猫と人間と』というドキュメンタリー映画の試写を観る。
飼い主から捨てられ、処分、すなわち殺されるイヌやネコ。プレスキットによれば、2006年度のその数は35万3098頭。2007年にはやや減ったがそれでも31万457頭。1日に100頭近くが殺処分されている計算になる。日本はペット大国ではあるが、ペット天国ではない、と映画は言う。食料にされるわけでもない動物が、人間の都合で大量に買われ/飼われ、捨てられ、殺される社会はまともだろうか----。
この作品はある猫好きの老婦人と飯田基晴監督との出会いから始まり、カメラはイヌやネコたちが捨てられる現場を追う。殺処分----やわずかな譲渡----が行なわれる、各地のいわゆる「愛護センター」。民間の愛護団体。捨てられたネコとホームレスたちが寄り添うように暮らす多摩川河川敷。かつて「犬捨て山」と呼ばれた場所。「崖っぷち犬」騒動の街。そして動物福祉先進国、イギリス。
僕はある時期、愛犬雑誌のライターをやっていたことがあり、いわゆる愛犬家や獣医師を取材した経験が何度もある。動物実験の現場は何十カ所も訪れた。いわゆる屠畜場で、ウシやブタが解体される一部始終を見たこともある。捨てられたペットの殺処分は、ある人が撮った映像でなら見たことがある。去勢手術はこの映画で初めて見た。まだ小さな猫が麻酔注射で「安楽死」される様子も。
この映画の主人公はもちろん捨てられたイヌやネコなのだが、捨てられた人間たちの姿も、わずかだがスクリーンに登場するということは、僕だけでも書き留めておこう。それもそのはず。監督はある野宿者を追った作品----残念ながら僕は未見だが、あるイベントでラッシュを観た記憶がある----を撮った人であり、この作品の撮影には『フツーの仕事がしたい』土屋トカチ監督がかかわっている。飯田や土屋が属するプロダクションの名前は「グループ ローポジション」だとか……。

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帰り道、いつも通り過ぎる書店の店頭で、Coccoの美しい姿が表紙の雑誌を見かける。痛みに耐えながら観た武道館でのライブを思い出す。故郷----日本のデトロイト----で、iPodCocco(やtoeクラムボンMogwai)を聴きながらひたすらクリニックに通った日々のことも。こちらに戻ってから、是枝が撮ったCoccoドキュメンタリー映画『大丈夫であるように』を観たことも。それを観て僕は落胆し、そしてまた、寒くなるにつれて体調が悪くなり、僕はまた同じように故郷で冬を越え、春を待つ日々を繰り返してしまったことも(故郷での2度目の集中リハビリのときにはiPodはなかった)。
そして僕はようやく社会復帰しつつある。Coccoの活躍もまた観られるだろう。
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人間が家畜、道具、商品、資源のように使い尽くされ、捨てられる社会はまともだろうか。そもその「社会」なのだろうか。僕も捨てられるのかなと思ったが……どうやら生き延びているようだ。
翻訳ではないのだが、それに類する仕事のために通っているオフィスは、渋谷ではなく御茶の水の坂道にある。カントではなく、ちょっと古いSF小説映画化の噂はどうなった?)を読み返している。スタン・ゲッツビートルズは聴いていないが、オーネット・コールマンルー・リードを聴いている。秋に北海道出張の予定があるが、泊まるのはいるかホテルでもドルフィンホテルでもなく、東横インだろう。右翼の大物とかかわることもなければ、羊男と会うこともないはず。たぶんね。
200Q年もあと4カ月。くそったれ政権も余命わずか。
不満? 政治や社会に対してはいくらでもある。僕自身の生活は……上々かな。たぶんね。09.8.28


追記:
Coccoの写真を「美しい」と書きましたが、あくまでも僕の直感的な印象です。一般的に考えれば、あまり美しくないものもしっかりと写っています。Coccoの詞の世界を知っている人だったら、すぐわかるもの。僕もそれだけを見たら美しいとは思わないでしょうが、そうしたものも見せてしまう彼女に、潔さのようなものを感じました。09.8.28