熱中症と「人種主義」
暑い。何人もの人が熱中症で倒れ、そして死んでいることが伝えられている。
ミシェル・フーコーはいまから30数年前、その有名な講義において、社会が歴史を重ねるにつれて台頭してきた「生-権力」、そして「人種主義」についてこう述べている。
実際、人種主義とは何なのでしょうか? まず、それは権力が引き受けた生命の領域に切れ目を入れる方法なのです。そうやって生きるべき者と死ぬべき者を分けるのです。〔略〕もちろん処刑ということで私が言おうとしていることには、単に直接的な殺害だけでなく、間接的な殺害となりうるすべてのことも含まれます。死に曝すこと、ある者たちに対して、死の危険を増大させること〔略〕。(『社会は防衛しなければならない』、筑摩書房、2007年、253〜255頁)
フーコーがここでいう「人種主義」とは、たとえばアメリカや南アフリカにおける黒人差別、つまり肌の色による待遇の区別のことだけではないだろう。優生学を示唆するようなこともフーコーは述べているのだが、優生学は「人種主義」のあり方の1つに過ぎない――もちろん重要な1つ――のではなかろうか。
この「人種主義」を、もっと日常的な言葉でいえば……安易で拙速な解釈はやめておこう。
僕が「人種主義」、そして「生権力」の作用の存在を感じるのは、次のような短い記事を読んだときである。
15日午後4時20分ごろ、さいたま市北区の無職男性(76)が自宅で倒れているのに、同居の無職の長男(48)が気付き、119番した。救急隊員が駆けつけたが、男性は熱中症で既に死亡していた。
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081601000297.html
大宮署によると、男性は年金暮らしをしていたが、電気代が支払えず、10年以上前から電気を使用していなかった。部屋のクーラーは使えず、長男が氷を買って男性の首に当てるなどしていた。
熊谷地方気象台によると、15日のさいたま市の最高気温は35・8度だった。
2010/08/16 12:16 【共同通信】
日本では毎年、数十名の人が医療にかかることが遅れ、命を落としている(「国保死亡事例」という)。餓死も、数は少ないが、伝えられている。
国保死亡事例、餓死、熱中症による死亡。どれも日本ではまだ数が少ないからこそ、メディアはそれを伝えるのだろう。つまり国保死亡事例だったら、国民皆保険制度がある日本で「数十人“も”」、と考えることもできるが、「数十人で済んでいる」とも考えられなくもない。こうした事例が伝えられなくなったら、それらは日常になったということである。
僕はそんな国には住みたくない。そんな「国」は、ある土地ではあっても、「国家」でもなければ、「社会」ですらないだろう。
ミシェル・フーコー講義集成〈6〉社会は防衛しなければならない (コレージュ・ド・フランス講義1975-76)
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