『十三人の刺客』

 シネコンマイレージのポイントで(つまりタダで)、『十三人の刺客』を観る。リメイクらしいのだが、僕はオリジナルを観た(かもしれないけど)記憶がない。三池崇史監督は、デート・ムービー、お茶の間向け映画もつくっている人だが、基本的には、タランティーノ主義者(?)である。本作はその典型であろう。9時台のテレビではおそらく放映されにくい、性描写や暴力描写が連発する。これこそ映画の本領ではないのか。最近の映画、とくに邦画の多くは、最初からテレビで放映されることを意識してつくられているという印象がある。もちろん、映画もビジネスである以上、そういう戦略が必要であることは認めるが、それが作品の可能性を狭めてしまうようではつまらない。本作では、そういう態度は取られていない。それとも、性描写や暴力描写をきれいに切り取れば、テレビでも放映されやすくなるように計算されているのだろうか。
 物語はいたって単純で、権力を濫用する暴君とその軍勢を、ごく少数のサムライたちが義憤と戦術でもって倒す、というもの。これまで西部劇や時代劇で何十回も繰り返されてきたパターンだ。
 稲垣吾郎演じる暴君は、確かに卑劣な権力者で、ラストで主人公に斬り殺されるのにふさわしい人物なのだが、ときどき、きわめて哲学的な示唆を含む言葉を吐く。設定の時代は江戸末期。彼は徳川体制がやがて崩壊することを知っていた。
 偶然にも、『リヴァイアサン』を読んでいる最中だったので、彼の言動に必要以上の意味を読み取ってしまいながら鑑賞してしまった。