ヘンリエッタの命日

 昼前に明学へ。2つほど失敗をしてしまう……。


 ヘボン館1階の教員ラウンジで、フランス語およびフランス文学の先生と隣り合わせた。彼は日本人である。そこへフランス人らしき別の先生がやってきた。テーブルの上にはマルグリッド・デュラスのペーパーバックがあり、フランス人の先生がそれを見て、「まるぐりっと・でゅらす。アナタハでゅらすノすぺしゃりすとデスカ?」と言った。日本人の先生が流暢なフランス語で「のん、ワタシノセンモンハじょじゅる・ばたいゆデス」と答えるのが聞こえた。
 もちろん、僕が聞き取れたのはほんとにこの部分だけである(笑)。
 僕はほとんど何も考えずに、彼に「失礼ですが、S先生ですか?」と口に出してしまった。彼は「いえ、S先生は上にいて、フーコーが専門です。僕はバタイユが専門です」と答えた。
 S先生は専任なので、教員ラウンジに座っているはずがない。われながらアホであった。調べてみたら、T大の助教。失礼しました(汗)。


 3限の「技術と人間B」では、HeLa細胞とヘンリエッタ・ラックスについて話す。国士舘大学での講義と同じように、レベッカ・スクルート氏が2001年に書いた記事をテキストにした。「ES細胞やiPS細胞について話せる教員はいくらでもいる。HeLa細胞について話せる教員もそこそこいるだろう。しかしヘンリエッタ・ラックスについて90分間話せる教員は、僕ぐらいだぜ!(しいていえば、K学院大学のHさんがいるかな)」と思いながら話したのだが……学生からの感想文で、とんでもないことに気づいた。今日、すなわち10月4日は、ヘンリエッタ・ラックスの命日だった! なんで気づかなかったのだろう。とほほ。

The Immortal Life of Henrietta Lacks

The Immortal Life of Henrietta Lacks

 なお、ヘンリエッタ・ラックスが眠る墓の正確な位置は、墓石などがないのでわからない、ということになっていたはずだが、レベッカ・スクルート氏のブログ(今年の5月29日付)によると、現在は、墓石が設置されているようだ。
 本のかたちの墓石には、こう刻まれている。

 Henrietta Lacks, August 01, 1920-October 04, 1951.
 ヘンリエッタ・ラックス、1920年8月1日〜1951年10月4日。
In loving memory of a phenomenal woman, wife and mother who touched the lives of many.
驚くべき女性にして妻、母の、愛すべき思い出において。多くの者の人生に接した人の。
Here lies Henrietta Lacks (HeLa). Her immortal cells will continue to help mankind forever.
ここにヘンリエッタ・ラックス(HeLa)は眠る。彼女の不死の細胞は、永遠に人類を助け続けるであろう。
Eternal Love and Admiration, From Your Family
永遠の愛と称賛を。家族より

http://scienceblogs.com/culturedish/2010/05/a_historic_day_henrietta_lacks.php

 ご冥福をお祈りします。

Culturing Life: How Cells Became Technologies

Culturing Life: How Cells Became Technologies