教員ラウンジの風景

 午前中からメーガクへ。「技術と人間B」第5回として、ES細胞について話す。
 講義の前と後には、ヘボン館1階「教員ラウンジ」で時間をつぶす。K大学の講師控え室とはずいぶん雰囲気が違うが、似たようなこともある。ここにいる人間がおおむね3種類に分かれることだ。まずは定年後の元教授。次に他大学に籍を置く兼任の教員。そして非常勤のある曜日以外には、派遣社員などの仕事をしてその日その日を生きる、事実上のフリーターだ。
 昨日、御茶の水のスターバックスにおける「勉強率」の高さについて書いたが、ここも勉強率は高い。当たり前か(汗)。みんな学生を勉強させるための勉強をしている。
 ときどきお話しするある先生の席には、真木悠介の『比較の時間社会学』(岩波現代文庫)が置いてあった。CDの歌詞カード(英語)のコピーを貼り合わせて配付資料をつくっていた人は、英語の先生だろうか、それとも文化論関係の先生か。講義の後で僕が座った席の右斜め前に座っていた人は、岩波文庫の『カンディード』を熱心に読んでいた(いま検索してヴォルテールの著作だとわかった)。
 メーガクの教員ラウンジには、常駐の職員が2人ぐらいいるのだが(K大学にはいない)、その人も本を読んでいた。「本を読めるアルバイト」なのかもしれない。
 昨日数時間を過ごしたスターバックスは、僕のような階層の人間がほんの束の間だけ、エリート層と同じような気分(だけ)を感じられる空間である。マックで「難民」らしき人を見ると、「明日は我が身か……」と思うのは対照的だ。
 スターバックスと教員ラウンジは、よく似ていると思う。その罪深さにおいて。