JCcast第43回、「Ashley事件から〜」、悲しみのバイオ化

 数日前、JCcast第43回が公開されました。僕は代理出産出生前診断について話題提供しています。山下君はMMRワクチンについて、赤木君は伊達直人ブームについて。ご視聴ください。


第43回 科学と倫理、科学リテラシー伊達直人ブーム
http://journalism.jp/podcast/2011/02/43.html


 現在発売中の『現代思想』2月号の拙稿、僕が愛読しているブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」で紹介されました! 尊敬している人に好意的に言及されることほどうれしいことはありません。
 このブログの管理人さんは、僕が言いたかったことを、

障害当事者を手始めに
すべての人間を強引に医療化、バイオ化の対象に引きずり出し
それによって身体(臓器も含め)のみならず、生命にまでも
その一方的な支配を及ぼしていこうとしているように見える。

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62799343.html

 というように、ご自身の言葉に置き換えて紹介・議論しています(この前後もぜひ読んでみてください)。
 僕がお礼をかねてコメントしておくと、管理人さんは僕のコメントに驚いておられたようですが、先に驚いたのは僕のほうです。
 通じる人には通じるんですねえ。感無量であります。時間的に無理して書いた意味がありました……。

現代思想2011年2月号 うつ病新論 双極II型のメタサイコロジー

現代思想2011年2月号 うつ病新論 双極II型のメタサイコロジー

 ところで、この論考を書くに当たり、もっと深く言及したかったのだが、残念ながら脚註で触れるだけで終わってしまった文献がある。社会学者アラン・ホルヴィッツらがまとめた『悲しみの喪失(The Loss of Sadness)』という本である。
The Loss of Sadness: How Psychiatry Transformed Normal Sorrow into Depressive Disorder

The Loss of Sadness: How Psychiatry Transformed Normal Sorrow into Depressive Disorder

 ホルヴィッツらは、失恋や死別、失業など「原因のある」悲しみによって生じる症状は、「原因のない」それとは、かつては区別されていて、後者だけが精神疾患とみなされていたと指摘し、『DMS』に代表される近代的な診断基準の登場とともに、医師たちは、患者たちの訴えの「コンテキスト」を無視し、その症状だけに焦点を絞るようになったことを批判的に論じている。
 彼らは「通常の悲しみ」を、うつ的な疾患と区別することの利点を次のようにまとめている。

  • 通常の状態の病理化は、害をもたらし、そのような病理化の回避はそのような害を少なくするだろう。
  • 病的な悲しみと通常の悲しみの区別は、予後の診断評価を向上させるだろう。
  • 正確な診断は、適切な治療法に向かわせる。
  • 通常の悲しみをうつ的な疾患から区別することは、劣悪な社会的条件と、その悲しみとの関係を理解することに役立ち、それゆえ適切な社会的介入に役立つ。
  • うつ的な疾患を通常の深い悲しみから区別することは、うつ的な病気の流行やそれを治療するコストを、疫学的に、正確に推計するための基盤となるだろう。
  • 疾患を通常の悲しみから区別することによって、精神医学の、満たされていないニーズを適切に推計できるようになる。
  • 疾患と通常の悲しみとの間を注意深く区別することによって、研究者らは、真実の疾患をより正確に反映したサンプルを選択できるようになる。
  • 非疾患的喪失反応を、機能不全的喪失反応から区別することによって、通常の悲しみについての私たちの思考の医療化を回避することができ、それゆえ、精神医学の概念的一貫性を維持できる。

(Allan V. Horwitz and Jerome C. Wakefield, The Loss of Sadness: How Psychiatry Transformed Normal Sorrow Into Depressive Disorder. Oxford University Press, 2007, pp.19-21)

 どれも重要な指摘だが、拙稿との関係では、4番目の指摘などがとくに重要だろう。ただし僕だったら、とりあえずは「社会的介入」が必要かもしれないが、より重要なのは「社会そのものの改善」だと主張するが。