『あしたのジョー』

 夜、いつものシネコンで『あしたのジョー』を観てきた。小説やマンガなど原作、とくにベストセラーのものが映画化(とくにマンガの実写化)されると、原作ファンからは必ずといっていいほど、「原作レイプ!」と批判の声が上がる。これはどうだろう? 僕は原作のファンとはいえない。テレビアニメ版のほうはよく観ていた。が、あまり詳しくは覚えていない。だからフラットな姿勢で映画を観た。
 結構よくできているといってよいのではなかろうか。キャラクターたちの成長があり、闘志のぶつかり合いがあり、出会いと別れがある。運命的な出会いをした2人が、立場や経歴、体重差までも乗り越えて戦いに挑む姿は感動的ですらあった。
 もちろん原作は10巻以上あるものなので、いろいろと省略されているエピソードなどもあるのだろう。そのことに目をつぶれば、なかなか真面目につくられていた作品だと思う。
 僕としては、映画としての出来とは関係なく気づかされることがあった。それは原作の影響力である。実は、僕にとって、ボクシング・マンガといえば、『あしたのジョー』ではなく、『リングにかけろ』である。『リンかけ』は、ボクシングものというより、SFバトル・アクションと把握している人が多いと思うが、途中までは、わりと普通のスポ根マンガであった。
 推測だが、たぶん車田正美は自分なりの『あしたのジョー』をやりたかったんだと思う。少なくとも意識してはいたと思う。どうみても高嶺はジョーであり、剣崎は力石である。それが途中から、車田のオリジナリティが炸裂し、独特の世界をかもすようになった――そしてその精神は『風魔の小次郎』などほかの車田作品に受け継がれ、さらには多くのほかの漫画家に影響を与えた――のは、マンガ史に残る大展開ではなかったか。
 僕が映画版『あしたのジョー』のジョーvs力石戦を観ながら思い出したのは、『リンかけ』の高嶺vs剣崎戦だったりする。それだけ原作の影響力があるということだろう。
 ちなみに監督は曽利文彦。この人が監督したアニメ映画『ベクシル2077日本鎖国』は、プロデュース作品の『アップルシード』に隠れてしまっているようだが、なかなかの佳作だったと思う。もちろん僕が高く評価するものが、世間で商業的に評価されるとは限らない。『あしたのジョー』はどういう歴史的評価を受けるだろうか。