『サラエボ、希望の街角』

映画の日」には映画を観る。夜、神保町の岩波ホール『サラエボ、希望の街角』を観た。毎月1日の映画サービスデイには、たいていの映画館で1本1000円で映画を観られるのだが、岩波ホールでは1400円。客層がほかの劇場とは違うことが前提とされていたりして(苦笑)。
それはともかく、『サラエボ、希望の街角』は、前作『サラエボの花』がたいへん素晴らしかったヤスミラ・ジュバニッチ監督の最新作である。前作では、戦争にかかわる、ある不幸な事情で形成された家族(母娘)が、その細い絆を確かめながら強くしていく様子が鮮やかに描かれていたが、この作品では、戦争で家族を失った2人が、新たに家族をつくろうとすることに迷う様子がリアルに描かれる。前作と同じく、映画全体を戦争の影が覆っている。
ヨーロッパ化されたイスラム世界、というボスニアの事情は、東アジアの小国に住む僕らが知る機会はあまりないが、この作品では、その複雑な事情がかいま見えて興味深い。もちろん映画が切り取るのは、現実世界のうちただ1つの側面にすぎないということは大前提である。
最初、セミヌードのシーンや濡れ場が無意味にあり、なんだこりゃ、と思っていたら、それなりの伏線になっていた。主人公のルナは客室乗務員。もちろん美人で、恋人もいる。客室乗務員といえば華麗な、エリート的な印象がある職業だ。前作『サラエボの花』の女性主人公は、娘の遠足に必要な金銭にも苦労していたが、それとはずいぶん異なる境遇である。ボスニアもそれだけ平和になったのかもしれない。ところが……彼女にも、彼女の同棲中の恋人にも、暗い影がないわけではない。戦争で失った両親、アルコール中毒、宗教、そして不妊。まさかこの映画で、不妊治療のシーンを観るとは思わなかった。排卵誘発剤の自己注射の様子を、映画で観たのは初めてである。もしかして映画史で初めてだろうか?
邦題は『サラエボ、希望の街角』だが、この映画に希望はあまりないと思う。まだ前作『サラエボの花』のほうが、希望は多かったかもしれない。映画は、結末――ルナの決断――を観客にゆだねるかたちで終わる。
前作ほどではないが、優れた作品であることは間違いない。ジュバニッチ監督は今後もこの路線を続けるのだろう。好むと好まざるとにかかわらず。そしてこういう映画は、平和な世界に暮らす僕らにとっても必要なのだ。これも、好むと好まざるとにかかわらず。