環境問題と優生思想(4)―『沈黙の春を生きて』

午後、神保町の岩波ホール9階の試写室にて、『沈黙の春を生きて』というドキュメンタリー映画の試写を観る。題名はもちろんレイチェル・カーソンによる環境問題の古典『沈黙の春』(新潮文庫)から取られたものだ。フライヤーでも映画の冒頭でも「化学物質は放射能と同じ様に不吉な物質で世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます」というカーソンの言葉が引用されている。
映画は、ベトナム戦争アメリカ軍がベトナムにばらまいた農薬、エージェントオレンジとも枯れ葉剤ともいわれるものの被害を、アメリカとベトナムで追う。「被害」とは、ようするに先天障害である。
とくにカメラは、ベトナム帰還兵を父に持ち、四肢欠損のある女性が夫とともにベトナムに赴き、そこでさまざまな先天障害を持って生まれてきたベトナムの人々と交流する姿を中心に描く。四肢欠損、視覚障害、無毛症、皮膚病……ベトナム人アメリカ人も、枯れ葉剤を浴びた親から生まれたという。
その多くがかなり重いもので、正直、見ていて辛くなった(この「辛さ」の内実はなんだろう)。しかしこの映画には問題があるように思う。
第一に、枯れ葉剤が彼らの先天障害の原因であることは前提とされ、論証されない。2003年の『ネイチャー』で、枯れ葉剤が多く撒かれた地域を明らかにした論文が掲載されたことが紹介されるが、その地域に特異的に先天障害児の出生数が多い、といったことは、少なくとも映画の中では紹介されない。
第二に、先天障害を「悪」、あるいは「負」の存在として描いてしまっている。確かに、障害者差別があり、社会福祉が整っていない社会においては、先天障害児を産み育てることには困難があろう。しかしそれはむしろ社会の側の問題ではなかろうか。障害者差別がなく、社会福祉も整っている社会(どこにもありえない世界=ユートピア)においては、その困難はかなり軽減されるはずである。子どもがいなくて、つくる予定もない僕がいうのはたいへん無責任かもしれないが、少なくとも原理的にはそうなるはずである。
カーソンは「化学物質は…生命そのものを変えてしまいます」と書くが、変わって何が悪いのか。変化こそ進化の原動力ではないのか。僕らもまた変化の産物ではないのか(アルマン・マリールロワ『ヒトの変異』(みすず書房)など参照)。
というわけで、制作者の環境問題や戦争への意識については大いに共感するものの、それ以上の違和感をもった作品である。
そしてこの問題構造は、twitterでも話題になった『クロワッサン』誌の柳澤桂子氏のインタビュー記事そのもの、およびそれへの反応と、まったく同じである。そういえば僕も『クロワッサン』のコピーをすでに入手しているのだが、それについてはまだ書いていない。またいずれ……って、また同じこと書くんだけどね(苦笑)。

沈黙の春 (新潮文庫)

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ヒトの変異―人体の遺伝的多様性について

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