『聯合艦隊司令長官 山本五十六』

夜、近所のシネコンで『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を観る。もちろん1月いっぱいまで有効のフリーパスを使ってみた。このフリーパスがなけえれば、たぶん観なかった作品である。まったく期待していなかったが、結果としては、悪い作品ではなかった。歴史に残る傑作とは言えないにせよ。
映画に限らず、創作物というものは、その舞台となる時代が描かれるのはもちろんだが、それだけでなく、それがつくられた時代もまた反映される。この映画も例外ではないだろう。監督や脚本家が意識的に反映させた可能性もある。それはある種のテクニックだから。
たとえば、大本営発表を無批判的に伝えるメディア。国中に拡がる同調圧力。以前の惨事を活かせない忘れっぽさ…。
最後に東京の焼け野原がスクリーンに拡がるのだが、誰がどう観ても、その姿は、津波で街ごと失われた東北の被災地である。
山本五十六が、開戦に反対していたことなど、この映画で描かれていたことをほんとに主張していたのか、またこのように高潔な人物だったのかについては、僕には判断できない。しかし2012年という公開時期に見合うようつくられていたことは十分に評価できる。
また、コンピュータ・グラフィックスやマット・ペインティングを使った戦闘シーンの描写などはなかなかの迫力で、ハリウッド映画のレベルに追いついたと言っていいだろう。『トラ・トラ・トラ!』、『パールハーバー』など、これまでの太平洋戦争映画と比較してみたいところ。


ついでながら、僕は子どものころから、父から戦争中の話をよく聞いてきた。父が疎開中に経験した三河地震の話も。僕が父から聞かされた物資不足や空襲の話の意味をリアルに実感できたのは、いうまでもなく、3.11後のことである。そのこともこの映画を観ながら思いだした。