『灼熱の魂』

シネコンのフリーパスの期限が迫っているので、夕方、日比谷のシャンテで映画を2本観てきた。
まずは『灼熱の魂』から。まず冒頭で、レディオヘッドの「You and Whose Army」が流れるなか、中東らしき場所で、子どもたちが髪の毛を刈られる。1人の少年の険しい目が観客をにらみつける。
物語らしい物語は、現代のカナダから始まる。双子のきょうだいの母親が突然死に、彼らは公証人から母親の残した遺書の内容を知らされる。母親は中東系の人で、自分たちには兄がいるらしい。姉は母親の写真などを手がかりに、父と兄を捜しに中東に向かう(場所がはっきりしないが、レバノンという説があるようだ)。
姉はわずかな手がかりと語学力を駆使して、母親の人生を知ることになる。物語は、カナダと中東、現代と昔、というように、場所や時代を複雑に切り替えながら進むが、映画を見慣れている者であれば、とくに気にならない。やがてその探索に弟も加わる。そして彼らが知ることのできた母親の人生は、時代に翻弄された壮絶なものであった。たとえば母親は、もともとキリスト教徒でありながら、イスラム系のテロリストであったらしいことなど。そして双子のきょうだい自身の出自についても、衝撃的な事実が明らかになる。
原作は戯曲らしい。基本的にはフィクションらしいが、レビューなどによると、いくつかのエピソードは中東で実際にあった出来事を踏まえているとのこと。
結末は、もちろんここでは書かないが、『サラエボの花』に似ている。また観た者のなかにはソフォクレスの『オイディプス王』を思い出す者も少なくないだろう。舞台が中東で、かつ、時代に翻弄されながらも生き続ける女性の生涯が描かれているという意味では、昨年観た『ミラル』をも彷彿とさせる。
しかしながら僕がこの映画を観ながら思い出していたのは、フランス語圏のカナダが舞台の1つになるという共通点もあるせいか、フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルの『ロルティ伍長の犯罪』(人文書院)だったりする。『灼熱の魂』でも『ロルティ』でも、中心となるテーマの1つは、暴力の連鎖、そしてその阻止である。中東が舞台の作品というと、どうしても中東の複雑すぎる政治と紛争の歴史を踏まえないと理解できない、と身構えてしまいがちだ。確かにこの映画でも物語のバッググラウンドにはそれは影を落としている。
しかし映画がメッセージを込めて描いたものは、そうした背景とはまた別に、もっと普遍的なものであろう。