『「原発避難」論』

諸事情で、山下祐介・開沼博編『「原発避難」論』(明石書店)に所収されている須永将史「大規模避難所の役割――ビッグパレットふくしまにおける支援体制の構築」を読む。著者の須永は、僕とは指導教官のゼミ仲間である。
須永は郡山出身であり、震災後、定期的に帰省して、同地でボランティア活動を続けていることは聞いていた。そのためこの論考も、彼の体験談+アルファかなと思ったのが、まったく違う。大規模避難所「ビックパレットふくしま」を中心に、郡山市で避難者を支援し続けたボランティアなど8人の支援者へのインタビューを中心にまとめたルポルタージュである。
このルポに登場する8人はみなそれぞれ、支援者である前に被災者でもある。1人ひとり経験を語る言葉はそれぞれ重く、貴重な時代の証言となるであろう。
しかし、この論考のなかで最も重いのは著者の締めくくりである。昨年8月、ビッグパレットふくしまは閉鎖し、避難者たちは仮設住宅や借り上げ住宅に移った。しかしそこでの生活は「避難生活より過酷なものだろう」と須永は書く。

仮設住宅や借上げ住宅においては、避難者の生活は分散し、行政や支援団体からの情報入手も困難になる。

なるほど大規模避難所には情報も物資も集まりやすかったかもしれない。しかし、同様の情報や物資、サービス、言い換えれば快適さやQOLがすべての避難者に行き届くとは限らない。むしろ厳しくなるだろう、というのが、現地をつぶさに見続けた須永の推測である。

今なお原発避難の過程にいる避難者たちは、これからも故郷からの疎外を生きなければならないのである。

と須永はまとめている。「故郷からの疎外」という言葉は、あまりに重い。

「原発避難」論―避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで―

「原発避難」論―避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで―