「原子力映画解体」のためのメモ:『100,000万年後の安全』

今日も引き続き、「原子力映画解体」のためのメモ書きをさらします。
今回は『100,000万年後の安全』というドキュメンタリー映画です。『イエロー・ケーキ』が原発の始まり(=燃料)を描いた映画であるとするならば、この作品とか『アンダー・コントロール』は原発の終わり(廃棄物と廃炉)を描いた作品でしょう。
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100,000年後の安全 2010 デンマーク(合作) http://p.tl/rfPu


(2011年7月9日付ブログを編集)


2011年7月9日、アップリンクXで『100,000年後の安全』を観た。フィンランドの高レベル放射性廃棄物処分場を取材したドキュメンタリーである。実は、観るまでフランスの映画だと勘違いしていた。フィンランドの映画だが、インタビューのほとんどは英語でなされている。
舞台はフィンランドにある「オンカロ」という高レベル放射性廃棄物処分場。地下500メートルまで掘られた、洞窟のような、要塞のような施設が建設中であり、フィンランド各地から運ばれた放射性廃棄物が置かれ、2100年には封鎖するという。
タイトルからして自明なのだが、カメラは、同施設の責任者や政府関係者に対して、10万年後の人々にここが危険な場所であることを知らせるためにどうしたらいいか、をしつように問い続ける。ある者は何も記さず、忘れ去られるべきだと言い、ある者はあらゆる言語や記号を使って、危険であることを知らせるべきだと言う。ある政府の委員会の委員は、私たちがピラミッドが何のためのものかわからないように、未来の人はこの施設が何のためのものがわからないだろう、と言う。
この議論はリスク社会論でよく知られる社会学者ウルリヒ・ベックが、2008年7月17日付の英紙『ガーディアン』に寄稿した論考を彷彿とさせる。

2年前、アメリカ議会は、アメリカにおける核廃棄物投棄によって引き起こされる脅威について、今後1万年間にわたる警告を可能にする言語やシンボルを開発するための専門家委員会を設立した。解決されるべき課題は次のようなものであった。いまから何千年か後、未来の世代にメッセージを送るためにコンセプトやシンボルをいかにデザインするべきか?
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/jul/17/nuclearpower.climatechange

日本では、原発はトイレのないマンションとよくいわれるが、ベックは、原発は滑走路のない飛行機である、と言う。どちらも廃棄物処分の問題を意味している。

彼ら〔国家など原子力を推進する「アクター」たち〕は人々に飛行機に乗り込むよう急かしているのだが、滑走路がまだつくられていないのだ。

100,000年後の安全』は、オンカロ処分場の様子を淡々と見せ、シンプルな質問を関係者に問いかけることで、同じ問題を提起する。秀逸。

100,000年後の安全 [DVD]

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危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

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