痛み、親密な他人、文学的邂逅
暑いけれども気持の良い日だった。僕は午後じゅうプールで泳いで……と書くと、ひと昔前の青春小説みたいだな。プールはプールでも屋内で、しかも泳いだわけでもなく、歩いただけ。その後、バーに行って小指のない女の子と知り合う、なんてことももちろんない(苦笑)。
朝、起きたら痛みがかなり軽減していた。実はこの1週間ほど、それほど深刻ではないのだが、痛みが続いていて、やばいかなと思っていたのだが、とりあえずひと安心。
何度か書いてきたことだが、痛みは身体的な異常のみによって生じるとは限らない。心理的、社会的な因子が少なからず影響することが知られている。そうした考え方をとりあえず、痛みの心理モデルと呼んでおく。
金曜日に、基本的には楽しいのだが、やや緊張せざるをえない出来事があった。土曜日には、完全に楽しいだけの出来事があった。土曜日の朝に痛みの軽減を実感したなら、心理モデルで説明できるだろう。しかし、痛みがひいたのは今朝だ。しかも今度の水曜日には、強い緊張を強いられる可能性が高い予定がある。木曜日には、基本的には楽しいのだが、やや緊張せざるを得ないことがありそうだ。心理モデルで考えるならば、痛みはいまも続いているはず。やはり心理モデルだけで説明することには無理があるのか。当然か。
武田さんは「マル激」の仕事で、森岡正博さんと会ったらしい。
で、そんなきっかけでもメディアを介在させて親しくなって行くインティメイト・ストレンジャーについて思う。今やメル友やmixi友が会ったことがないのに本音を打ち明けられる唯一の存在になったりするのだ。
宮台さんは現実の知り合いだとうかつにプライベートな秘密まで明かすとたいへんなことになるので、何が起きても実害のないインティメイトストレンジャーに流れるというリスクヘッジ説を採るのだがどうなのだろう。
確かにいかに親しい恋人もいつか別れることを前提にすると他人行儀のやりとりしかできなくなる。(20日付「恋愛の行方」)
「インティメイト・ストレンジャー」というのは、あえて訳せば、「親密な他人」といったところだろうか。
池澤夏樹の短編集『きみのためのバラ』(新潮社)が傑作だということは何度も書いてきたが、冒頭を飾る「都市生活」は、ある種のインティメイト・ストレンジャーの話だ。設定時期は最近だろうが、ネットではなく、現実世界での、偶発的で瞬間的な出会いがみごとに描かれている(場所のモデルはたぶん羽田)。
語り手の男は、深夜、ビストロで食事を摂る。1人で。偶然、目が合った女性客と話すことになり、ある打ち明け話をされる。
女は立ち上がった。
「いきなり知らない人にこんな話を聞かせてしまってごめんなさいね。でもねえ、きっと知らない人だから話せたのよ」
「なるほど」(23〜24頁)
インターネットが普及した現在、村上や池澤が描いてきたような、現実世界での邂逅は、もはや古めかしい過去の遺物にすぎないのだろうか。文学の中にしか存在しないことなのか。そんなことはない。たぶんね。08.7.20
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