フェルメール、マルタとマリア、ウェーバー

 昼過ぎに上野へ。
 僕は上野駅の雰囲気が好きだ。細長い半透明の天蓋などが、どことなくヨーロッパの鉄道の駅を思い出させるからだろうか。

上野古書のまち」で時間調整してから、東京都美術館「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を観る。

 フェルメールといえば、贋作騒動もあったほど作品数は少なく、その数は35点とも36点とも言われる。僕は2006年夏のヨーロッパ出張のとき、デン・ハーグマウリッツハイス美術館アムステルダム国立美術館で、数点を観ている。また昨年、六本木の国立新美術館「牛乳を注ぐ女」が来たときにも観に行っている。
 いまハードディスクを調べたところ、マウリッツハイスを訪ねたときの日記----「みずもり亭日誌」にアップしなかった、というか、できなかった、正真正銘の、個人的な日記----が奇跡的に見つかったので、引用しておこう。
 日付は2006年8月20日(日)である。

・朝、食堂で、アムスのユースで会った学生と再会。今日はマウスリッツハウス美術館だけに行って、すぐにアムスに移動するつもりで、そこにはトラム(路面電車)を使って行くと言ったが、彼によれば、そんなに遠くないとのこと。歩いて行くことにする。
・彼といっしょにユースを出て、セントラル駅(ユースはH.S.駅の近く。ややこしい)からロッテルダムに行くという彼と途中まで歩く。彼と別れてからマウスリッツハウスに着くと、まだ開いていない。10時から開くのだろうと思っていたら、日曜日は11時からとのこと。ガーン。あと1時間30分もある……。
・途方に暮れていると、地元の若いカップルに声をかけられる。「コンニチハ、ヤキトリ!」と言われ、僕も大笑いして、白人の若者がよくやるようにお互いにパーンと手を打つ。
男「何を探しているの?」
僕「いや、美術館が閉まっているから、コーヒーでも飲もうと思って……」
男「そりゃそうさ、日曜の朝は、オランダ人はみんな眠っているからね」
女「ちょっと黙ってなさい。あなた、コーヒー飲みたいの? それとも朝食?」
僕「コーヒー飲みたいね」
女「OK、ここをずっとまっすぐ行くと、マクドナルドがあるわ。そこを右に曲がって少し歩くと、たくさんのテラスがあるところがある。そこではならコーヒー飲めるわよ」
僕「ありがとう、助かったよ」
男「オランダには何しに来たの?」
僕「観光と仕事」
男「君の家族か友達はオランダに住んでいるのかい?」
僕「友人がライデンに滞在しているよ。でも今日、僕はアムスに向かうつもりだ」
男「お前、アムスでジョイント(マリファナ)やるつもりだろう?(笑)」
僕「ははは、いや、そういうのには興味ないよ」
 ……とまあ、だいたいこんな感じの会話。僕にしては、うまく話せたほうだろう。彼女に教えてもらった通り歩くと、ヨーロッパでは珍しい、日曜の朝から開いているカフェを発見。コーヒー(と紅茶)を飲みながら、この文章を書いている。外は雨。
・マウスリッツ美術館では、フェルメールレンブラントに感動。前者では、とくに「真珠の苦耳飾りの少女」。スカーレット・ヨハンゾン主演の映画のモチーフにもなった作品だ。前者では、いろいろあるが、たとえばムーア人2人の肖像。当時、アフリカ人を絵の対象にすることなとめったになかったとのこと。なおマウスリッツハウスでは、日本語ガイドがあったのが非常に助かった。

「マウリッツハイス」が「マウスリッツハウス」になっているのは、ご愛敬ということで(苦笑)。誤植も。
 ちなみにこの後、スイスのローザンヌに移動して参加したEASST(ヨーロッパ科学技術論連合)は、今年はオランダのロッテルダムで開かれたとか。行きたかったなあ。オランダ絵画を観て、よけいに悔やむ。
 それはともかくとして、今回の「フェルメール展」では、30数点のうち7点が来日。「小路」とは、2年ぶりの再会となった。「ディアナとニンフたち」も。たぶん。スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵の「マルタとマリアの家のキリスト」とは、17年ぶりか? よく覚えていないが(苦)。
 それはともかく、「マルタとマリアの家のキリスト」を観られたのは収穫だった。この作品はフェルメールにしては珍しい宗教画で、新約のルカによる福音書第10章38〜42説を題材としている。

 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(新共同訳)

 キリスト教に詳しくないのでよくわからないのだが、文字通りに読めば、キリストは、マルタよりマリアの態度のほうを重視しているように読める。しかし、中世ドイツの神学者エックハルトの解釈は違うらしい。そのことを、マックス・ウェーバーは「世界宗教の経済倫理 序論」で、次のように論じた。

マイスター・エックハルトですら、ときとして「マルタ」を「マリア」より上においたが、その理由は究極のところ、彼としては、西洋的な天地創造の信仰や神観念における一切の決定的に重要な諸要因を完全に放棄することなしに、神秘主義者に固有な汎神論的神体験を貫きとおすことができなかったからである。(『宗教社会学論選』大塚久雄、生松敬三訳、みすず書房、1972年、原著1920年、68頁)

 ……といわれても、僕にはいまいち理解できない。この「序論」を初めて読んだのは、2007年度の「社会学基礎演習」であった。僕はそれからたいして進歩していないが、この作品を含め、美しいフェルメールを堪能できただけで、よしとすることにしよう。
 雨は、朝から降ったりやんだりしていた。美術館を出たタイミングは悪かった。びしょぬれのまま近くのスターバックスで、同伴者と談笑。夕方に帰室。08.8.30

真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]

真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]

宗教社会学論選

宗教社会学論選