遺伝子組み換え家畜、異種間での混ぜ合わせ、人類学機械

 アメリカのFDA(食品医薬品局)が「遺伝子組み換え家畜」の食用についての検討を始めたという。

遺伝子組み換え家畜を食用に 米当局が検討、意見募る
2008年9月19日10時32分

 【ワシントン=勝田敏彦】米食品医薬品局(FDA)は、遺伝子組み換え(GE)家畜を食用にする検討を始め、18日、規制の指針案を公表した。GE食品としてはトウモロコシや大豆が実用化されているが、動物が食用として認められたことはなく、消費者が受け入れるかどうかは不透明だ。〔後略〕

 この『朝日新聞asahi.com)』の記事では「食用になるGE家畜としては、病気になりにくいニワトリ、医薬品成分を含む乳を出す牛などが想定されている」というが、どちらも食品というよりは医薬品として規制されることになるだろう。安全性の考え方は、食品と医薬品とでは、大きく異なるはずだ。また、動物のDNAに組み込まれるDNAの由来(別の動物か、植物や微生物か、それとも人間か)によっては、安全性とは別に、文化的な検討が必要になるはずだ。
 まったく別の文脈(ES細胞研究をめぐるインフォームド・コンセント問題)で書かれた生命倫理学者の論文では、次のように指摘されている。

ES細胞樹立に用いる胚の〕ドナー〔提供者〕が自分たちの生物学的な素材の異種間での利用cross-species useに道徳的な反感を持つかどうか、直接的、体系的なデータはないが、『ニューヨークタイムズマガジン』で「もうひとつの幹細胞論争」と呼ばれたものについての世間の議論の一般的な傾向は、解決の難しいキメラ研究についてドナーに情報を提供することにしくじっている。別の種類の異種間での混ぜ合わせspecies-mixingである遺伝子組み換え食品に対するアメリカでの人々の態度についての広範囲な社会科学研究は、かなりの割合の人々(23〜58パーセント)が遺伝子組み換え穀物への反感を示していることを見出している。さらに多くのアメリカ人(ほとんどの調査で20パーセント以上)が動物を含む異種間での混ぜ合わせへの反感を示しており、この批難の強さはなお強い。こうした態度は非合理的なものだと片付けられえない。つまり彼らはそれにかかわる科学の単なる誤解や食品の安全性への事実無根の懸念にもとづいているのではなく、科学や技術への一般的な恐れを反映しているのでもない。そうではなく、彼らは狭い科学的思慮をしのぐ、深くて重要な価値を反映しているのだ。(Robert Streiffer, "Informed consent and federal funding for stem cell reserch", Hasting Center Report, May-June 2008, p.42)

 ここで引用した文章の後半はとくに重要である。人間はつねに、人間と動物との違いを気にしてきたのだ。アガンベンの「人類学機械」という議論を思い出さずにはいられない。

人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間の産出が、今日の文化においては賭けられているかぎり、人類学機械は、必然的に排除(つねにすでに逮捕でもある)と包摂(つねにすでに排除でもある)によって機能している。(ジョルジョ・アガンベン『開かれ』岡田温司、多賀健太郎訳、平凡社、2004年、原著2002年、59頁)

 アガンベンは「動物の人間化」と「人間の動物化」は符合している、という(同前118頁)。動物に人間の遺伝子(またはDNA)が組み込まれたとしても、それは動物であろう。FDAが想定している「遺伝子組み換え家畜」が、人間の遺伝子が組み込まれた動物だとしても、それは動物である。仮にアガンベンの議論を最大限誇張したとしても、この行為は「動物の人間化」であり、「人間の動物化」ではない。しかし最低限、カニバリズムが普遍的なタブーであることなどは検討されるべきであろう。
 そしてアガンベンの次のような指摘は、当たり前のことながら、きわめて重要である。

むしろ重要なのは、それらの〔人類学〕機械がどのように機能しているのかを把握し、いざとなったら、それらの機能を停止できるようにしておくことなのだ。(同前61頁)

 この指摘は、科学や技術をめぐるさまざまな議論に当てはまるはず。さらに社会政策全般についても。具体的な場面においては、官僚制(の在り方)も問題となる。08.9.22

開かれ―人間と動物

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