議論による終焉、か?

産経新聞(産経ニュース)』がiPS細胞について「主張」で触れている。

【主張】iPS細胞 臨床応用研究へ全力注げ
2008.10.11 03:30

 生命倫理問題をクリアしてどんな細胞にもなり得るiPS細胞(人工多能性幹細胞)を使う夢の再生医療が実現に向かって大きく動き始めた。
 京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授の研究チームが、解決すべき課題であるがん化の可能性をほとんどなくした作製方法を開発したからだ。iPS細胞をめぐっては、欧米をはじめ激しい国際競争が展開されており、日本の研究チームが一歩抜け出たことを高く評価したい。〔後略〕

 あまりに平凡な「主張」だが、一カ所だけ指摘しておく。「生命倫理問題をクリアして……」とあるが、クリアされたのは、どんな問題なのか。ES細胞では避けることのできなかった「胚の破壊」か(「破壊」を「滅失」と言い換えることもある)。アメリカのような中絶に強い忌避感を持つ人々が一定の力を持つ社会では、それが最も大きいだろう。しかし、日本ではどうだろう。また、少数の論者が「セラピューティック・クローニング」について指摘していて、ファン・ウソク事件で曝露されてしまった問題を、この「主張」の著者は認識しているのだろうか。とりあえず、「している」と好意的に解釈しておこう。
 フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルは、ナチズムの終焉について次のように述べている。

ヒトラーの暴虐は、武力によって終止符が打たれたのであって、議論によって終わったのではない。それは当然と言えば当然のことだ。だがそのために、ナチズムはいったい文化のどの痛点に触れたのか、という問題は未解決のままになっている。政治的説明の試みや、死刑執行人に対する裁判による諸々の教育は、安堵の時としての事後に書き込まれる。(『ロルティ伍長の犯罪 〈父〉を論じる』西谷修訳・解説、人文書院、1998年、原著1989年、28頁)

 このルジャンドルの指摘を、セラピューティック・クローニング(という提案)の終焉と重ねて読むことは、それほど不当ではないだろう。僕には、セラピューティック・クローニングという提案は、新技術によって終止符が打たれたのであって、議論によって終わったのではない、ように思える。セラピューティック・クローニングが文化のどの痛点に触れたのか、という問題は解決されたのだろうか。08.10.24

現代思想2008年7月号 特集=万能細胞 人は再生できるか

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