「ロシア革命アニメーション 1924-1979」など

 昨日はダーウィンの誕生日だったのこと。ダーウィニズムとかかわる書評用の本が今日、届いた。面白そう。
 午前中、いつものように都心とは反対方向にふた駅移動して、クリニックにてリハビリをする。いつものようにまずは30分ほど1人で行なう運動をした後、理学療法士に診てもらう。ベッドに座り、理学療法士が僕の上半身を左右前後に動かし、僕はそれに抵抗する、という運動をしたのだが、彼によると、徐々に安定感がよくなっているという。ほんとうだろうか。
 午後、渋谷へ移動。アップリンクファクトリーで「ロシア革命アニメーション 1924-1979 ロシア・アヴァンギャルドからプロパガンダへ」という短編アニメ作品のアンソロジー企画の試写を観る。本日観たのはそのAプログラム、ジガ・ヴェルトフ「ソヴィエトのおもちゃ」(1924年)など8本。


アップリンクX
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 アニメを含む映画は、日本を含めて、どの国でもプロパガンダとして使われてきた。国家の宣伝、プロパガンダのツールとしてつくられたものが、数十年経ってから、はからずも「アート」として鑑賞可能になることは皮肉だが、歴史的にはよくあることらしい。商業主義とは遠く離れてつくられたものだからこそ、そんなこともあるのだろう。この企画で紹介される作品群も、いわゆる「ソ連」で反ファシズム、反資本主義プロパガンダ映画としてつくられたものだが、Joan Borsten(ジョアン・ボルステン?)というアメリカ人プロデューサーが、旧ソ連のスタジオの倉庫で埃をかぶっていたフィルムを発掘し、それらをデジタルに変換し直したものだという。
 先日観たエストニアのアニメ作品も、商業主義とは遠く離れてつくられたものだったが、かなり難解なものだった。それらに比べると、今日観た作品群のメッセージはすごく簡単。反ファシズム、反資本主義。それだけ。当たり前だが。比較的新しい「射撃場」(1974年)などは、同時代のアメリカ的資本主義を批判する意図を持ってつくられたのであろうが、にもかかわらず、「敵」であるはずのアメリカン・ポップカルチャーのテイストが充満していて、ニヤリとさせられる。
 Bプログラムも楽しみ。09.2.13