社会的/肉体的

 印象に残っているうちに書いておきましょう。

 麻生太郎首相は7日午後の衆院予算委員会で、日本で少子化が進んでいることについて、民主党西村智奈美氏から「社会全体が子育てに優しくないからでは」と質問され、「生んだら大変という話ばかりしていないか。わたしは43歳で結婚し、子どもは2人いる。最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」と語った。
 子どもに恵まれないカップルへの配慮を欠いた発言と言え、首相はその後「肉体的な理由で産めないなど、いろいろな理由があるとも思う。義務という言葉は不適切なので撤回する」と釈明した。政府筋も7日夜、「(首相発言は)適切でなかった」と述べた。(無署名(時事通信)「「子ども2人、義務果たした」=直後に発言撤回−首相」、『時事通信』2009年5月7日(2009/05/07-21:50)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009050701011

 この記事を読んで、失言やいい間違いの多い麻生首相も、少しは過去の経験から学習したのかなあ、と思ったアナタ。よく読んでください。西村議員は、ようするに少子化には「社会的な理由」があるのではないか、と尋ねたのです。それに対し首相は、自分は「義務」を果たした、と答えています。これだけで充分に、質問と答えがズレていることがわかりますが、その後で釈明し、発言を撤回したときに挙げたのは「肉体的な理由」です。
 では「肉体的な理由」がない人が子どもを持てないことにはどう考えているのか。「肉体的な理由のない私は「義務」果たしたのだから、みなさんも「義務」を果たしなさい」とでもいうつもりでしょうか。それとも「いろいろな理由」に社会的な理由も含まれているのでしょうか。後者であれば、まあ、いつもの不注意ですねえ、と聞き流してもいいかもしれません。
 しかしこの人は過去に、社会保障についての議論のなかで、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何でわたしが払うんだ」と発言したことがあるので、僕は気になるのです。

 麻生太郎首相が11月20日に開かれた経済財政諮問会議の席上、社会保障の効率化をめぐって、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何でわたしが払うんだ」などと発言していたことが、26日に公表された議事要旨で明らかになった。
 議事要旨によると、首相は「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になると、こちらの方がはるかに医療費が掛かってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである」と発言。その上で、「わたしの方が税金を払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何でわたしが払うんだ」などと述べ、努力して健康を保った人に対して何らかのインセンティブを与えるなどして病気の予防に努めれば、医療費抑制につながるとの見方を示した。〔後略〕(無署名「麻生首相「何もしない人の金を何でわたしが」」、『CBニュース』2008年11月27日 15時29分)

 こういう発言を見聞きするたびに、僕は、「社会疫学」、「健康格差」、「社会科学としての医学」、「健康の社会決定要因」といった、使い古された議論を蒸し返す必要性は、まだまだある、残念ながら、と思うのです。09.5.8