死のバイオ化

 夕方、研究会から帰室して、グーグル・ニュースをチェックすると、悪い予感は当たり、参議院でA案が可決されていました。
 もう一度出かけて、スポーツクラブのプールやサウナで考えたのは、「バイオ化/生物学化biologisation」が死にもおよぶことになるんだ、ついに、ということです。医療社会学では、ある時期まで医療の対象でなかったものごとが医療の対象になる経緯を「医療化medicalisation」と呼びます。たとえば悲しくて落ち込んでいることを「鬱」と呼び、元気があって落ち着きがないことを「多動症」と呼び、治療の対象としていくことです。もちろんメリットもあれば、デメリットもあるでしょう。その延長概念として、近年では「生物医療化biomedicalisation」や「バイオ化/生物学化biologisation」というキーワードも登場してきました。バイオ化は、生老病死どの段階でも進行中だと思います。
 生命倫理会議は、早くも緊急声明を発表したようです。
 
参議院A案可決・成立に対する緊急声明
http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/2009/07/blog-post_8864.html


 重要なことは、バイオ化によって決められるのは、ある人が尊厳の主体、尊重の対象、「生きるに値する命」であるか否か、ということです。言い換えれば、ある人を資源や手段、道具として扱ってよいかどうか、ということになるでしょう。
 ある人を「生きるに値する命」ではなく、資源として、手段として、道具として扱う、ということは、残念ながら、脳死とも臓器移植とも関係ない文脈で、すでになされています。
 脱バイオ化、つまりバイオ化に抗うためには、どうしたらいいでしょうか。逆説的ですが、それはバイオ化に対して新たなバイオ化を立ち上げることかもしれません。つまり、派遣村のバイオ化です。いや、救急医療の派遣村化というべきでしょうか。
 衆議院でA案が可決したとき、ブロガーとしてもダーウィン医学の紹介者としても有名な生物学者が、iPS細胞によって脳を修復できるようになったら、という思考実験的な見解を表明していました。実際、ES細胞から大脳皮質をつくることはすでに報告されています。そうしたことも本気で考えるべき時期なのかもしれません。明日の講義では、iPS細胞について話す予定です。09.7.13