ある講師の憂鬱

 予定より大幅に遅れて(苦)、定期試験の採点終了。
 僕は毎年、最後の講義で試験問題を予告してしまうことにしている。おさえるべきキーワード、ヒントもていねいに提示し、書き方のコツも教える。勉強の仕方までアドバイスする。僕が大学生のときにはありえなかった大サービスをしているつもりである。
 しかしそれでも、全員が「可」にはならない。0点に近い答案もある。まじめに採点すると8割の学生が不可になってしまうのだが、毎年、何回か講義中に書かせるミニレポート(感想)なども加味することにして、あるていどの学生を「可」に引き上げている。
 受講者が多いと、毎年ほんの何人かは僕の講義に敏感に反応したうえで、素晴らしい答案を書いてくれる学生さんがいる。それがこの仕事の救いなのだが、今年は「分母」(受講者数)が少ないので、全滅かな……と思ったが、まあまあだった。ほっと胸をなで下ろす。でも、講義や試験はもっと工夫する余地がありそうだ。
 全滅は免れたが、無力感は毎年の通り。試験を予告されたのに合格点を取れない、という彼らの現状はいかがなものか。
全入時代」と呼ばれるいま、ひと昔前ならば、高校を卒業したら地元の工場や商店で働いていたであろう「子」たちまで大学生になる。試験はそれほど難しくないし、たまたま親が私学の学費を払えるという理由で。
 僕の授業は選択科目なので、手を抜いているんだろうと推察できる子たちは、まだいい。僕の授業で不合格になっても、ほかのもっと重要な授業でいい点数を取ってくれればまあいいんじゃないの、と思う。
 僕が気になるのは、比較的まじめに授業に出ている子たちだ。講義の後に質問してくる-----いまの学生さんたちはみんなの前では質問できないらしい----子のなかには、なかなか鋭い問いを投げかけてくる子もいることはいる。しかしながら、なかには毎回最前列で授業を聞いているのだが、ことごとく的を外れた質問をしてくる子もいる(さらにそのなかにはインフルエンザ騒動のとき、マスクをして授業を聞いていた子もいた。目立っていたのでよく覚えている。つまりふまじめではなく、まじめなのだ)。90分間何を聞いていたの、と言いたくなったがぐっとこらえたこともあった。僕の講義の仕方が悪いのだ、と思って……。もちろん定期試験の答案もひどい。おそらくほかの授業でもまともな点数は取れていないだろう。就職活動も難しいに違いない。卒業後の彼らを待っているのは、労働者そのものを食いものにするブラック企業での、奴隷的なMcJobぐらいではなかろうか。彼らに必要なのは、学問などではなく職業訓練だろう、とも思ってしまうが、そんなのはたぶん、よけいなお世話だ。僕は前述の通り、自分の権限と責任の範囲内でできることはすべてやっている。ほかにできることはない。
 というわけで、来年こそ、憂鬱を減らせるようにガンバろう。09.8.12