『ボヴァリー夫人』

 午後、京橋の映画美学校で、『ボヴァリー夫人』の試写を観る。いわずと知れた文豪フロベールの古典を映画化したもので、監督は、『太陽』や『チェチェンへ』が印象的だったアレクサンドル・ソクーロフ(『エルミタージュ幻想』も評価が高いようだが、僕は残念ながら未見)。ソクーロフの新作なのかな、と思ったら、そうではなく、プレスキットによると、1989年に制作され、ソ連で限定的に公開されたのだが、当時の政治事情のため、あまり広く紹介されずに終わった作品を、ソクーロフが近年になってあらためて編集し直したものだという。


ボヴァリー夫人
http://www.pan-dora.co.jp/bovary/


『太陽』は全編日本語でつくられていた。ハリウッド映画のように、舞台が非英語圏なのに、登場人物がみんな英語を話す、なんてことはなかった。『ボヴァリー夫人』もフランス語でつくられているのかな、と思ったら……ほとんどすべての台詞はロシア語で、ときどきエマ(=ボヴァリー夫人)がフランス語を口にする、という割合であった。舞台をロシア語圏に移し、エマはフランス語圏出身の女性、という設定にしたのかもしれない。
 いずれにせよ、『太陽』でも『チェチェンへ』でもそうだったのだが、台詞はきわめて断片的、途切れ途切れなもので、観る側に解釈を強いるスタイルが取られていた。『太陽』や『チェチェンへ』ではそれでもとくに苦痛は感じなかったが、この作品はやや辛かった。
 原作との距離はどうなのだろう。僕は原作を読んだような記憶もあるのだが、内容をまったく覚えていないので読んでいないのと同じ(笑)。またこの小説はこれまで何回か映画化されてきたはず。フランス文学やフランス映画に詳しい人に解説してほしい。
 個人的には、あまりいま観ておくべき必然性は感じられず、『太陽』や『チェチェンへ』に感動しだけに、やや残念。配給は、例によってパンドラである。09.8.13