自転車と公共圏

 いつものように朝から晩まで、御茶の水の某社の会議室で作業。
 夜半にいちど帰室し、自転車でいつものスポーツクラブへ。
 自転車は当然のことながら、左側通行である。でも僕は、徒歩のときの習慣が身についているせいか、右側を走ってしまうことがある。まじめに左側を通っている自転車とすれ違うとき、その乗り手から注意されたことが何度かある。
 今日もある道路の右側を走っていたら、スポーツタイプの自転車を乗った若者に「左側走れよ」と注意された。向こうの自転車の前面では、チカチカとライトが点滅していた。僕は無灯火である。明らかに非は僕にある。気をつけよう。事故の元になりかねない。事故が起きたら、その責任は僕が取らざるをえない。
 そういえば、オランダ(ヨーロッパの多く?)の道路には、車道でも歩道でもない自転車専用のレーンが設けられている。2006年のヨーロッパ出張のとき、アムステルダムで、それに気づかず自転車専用レーンを、カート付旅行バッグを引きずりながら歩いていたら、僕の傍らを自転車で通りすぎた若者から「アムステルダムは自転車の街だぜッ!」と(英語で)罵倒されたことがある。これも僕が悪かったのだろう。
 一方、日本の歩道を歩いていて、自転車にベルを鳴らされると、歩道では歩行者優先だろ、と怒りたくなる。
 スポーツクラブのプールのウォーキング専用レーンでは、右側通行が前提である。これは僕も遵守している。
 僕の住む街では、自転車人口が多い。道路は一種の公共圏であろう。公共圏、すなわちさまざまな価値観を持ちつつも同じ目的のために人々が共存せざるを得ない空間で、そこでの安全性を維持するためには、成員はあるていどのルールを守らなければならない。守らない者は、安全性を保証されないうえ、その公共圏に居続けることさえ拒まれても仕方ないだろう。
 自転車を走らせながら、プールで歩きながら、公共圏というものを考えた夜。09.8.17