オタクの街、医療の街、「生存学と死生学」

 午前中、医療とロックンロールの街への通勤定期券を使って、パソコンとオタクの街で途中下車。
 駅構内で、数本のビニール傘とカート付きカバンの横で、ワイシャツにネクタイ姿の中年男性が寝ているのを見かける。ネットカフェ難民? 何やらメッセージが書かれている段ボール紙もあった。僕が乗っていたエスカレーターからは「東大」という文字しか読めなかった。
 ヨドバシカメラ3Fで腕時計のベルトを交換する。2カ月ほど前に壊れてしまったのだが、ずっとそのままで、やっと治せた。そういえば、ある知人も腕時計が壊れたことをブログに書いていた。こんな偶然もある。
 ブックオフに少しだけ寄ってから駅へ。さきほどの男性はまったく同じ姿勢で寝ていた。明日は我が身か……。
 ひと駅だけ電車に乗って、医療とロックンロールの街へ。そこからいつもの編集部ではなく、東大の本郷校舎までひたすら歩く。
 東大前のラーメン屋で食事。以前も同じ場所にラーメン屋があったはずだが、名前が変わっていた。味もよくなった。東大の赤門----僕には「掟の門」に見える----をくぐり、「生存学と死生学」というシンポジウムを傍聴する。生命倫理STS科学史・科学論などの研究会やシンポジウムはたくさん開催されているが、僕はしばらく前からそうしたものにあまり参加しないようになった。理由はやまほどあって、ここでは書けない。「生存学と死生学」も大谷いづみさんの発表がなかったら、参加していなかっただろう。
 時間まで少しあったので、ベンチでシンポの資料(大谷さん作成のPDF)を読んでいると、目の前を大谷さんが通り過ぎた。誰かといっしょだったので、声はかけなかった。
 シンポそのものは、大谷さんのほか、川口有美子さんの発表が秀逸だった。「不作為という作為」……おや、このブログに概略が書かれている。余計なことかもしれないが、僕から補足しておくと、「不作為という作為」という問題提起をより深く理解するには、市野川容孝さんの「生-権力再論 餓死という殺害」(『現代思想』2007年9月号、78〜99頁)が有益だと思う。
 会場には見かけた顔がちらほら。会釈するていどで、会話はない。終了後、大谷さんにあいさつだけして帰室。
 あいかわらず、「掟の門」の外と中の温度差は激しい。生存率(比喩ではなく、社会疫学的な事実)も違うはずだ。そのことを、生存学者たちはどう考えているのか。そもそも気づいているのか。「掟の門」を境に分断化された社会
 帰室すると、重要な要件のメールが届いていた。
 そういえば、いつのまにか腰痛記念日が過ぎていた。そんなことに気づく暇もなく季節は過ぎてゆく。
 明日も朝から医療とロックンロールの街へ。いつも夕方、楽器店やCD屋に立ち寄る誘惑を振り切るのが辛い。09.9.6(09.9.12に少し加筆)