『樺太 1945年夏 氷雪の門』――語りえぬもの

 京橋にある映画美学校には、映画の試写を観るため、何十回も訪れたことがある。片倉ビルという、なかなか風情のある古い建物に入っていたのだが、建て替えるらしく、徒歩で数分のところに越していた。
 今日その試写室で観たのは『樺太 1945年夏 氷雪の門』という作品。1974年に全国的な公開が予定されていたのだが、ソ連に抗議されたことにより、自粛され、限られた劇場でのみ公開されただけで歴史に埋もれてしまった作品が、このたびデジタル化されて日の目を見ることになったという曰く付きの作品である。このエピソード、どこかで聞いたことがないだろうか。
 1945年夏、樺太の真岡という街の電話交換手の女性たちが、ソ連の侵攻のなかで最後まで電話交換を続け、命を落とした。その悲劇を、当時としては超大作のスケールで描く。確かに、白旗を掲げて交渉を試みた日本軍兵士たちを撃ち殺すなど、ソ連はひどく描かれている。こういう映画の場合、どこまでが史実で、どこからが創作なのかがいつも気になるが、残念ながら作品やプレスキットからはそれを知ることはできなかかった。この映画は「反ソ連映画」なのだろうか。少なくとも「反戦映画」ではある。
 上映に先立ってあいさつした人によると、『氷雪の門』はシアターNのモーニングショーでの公開が予定されていたのだが、『ザ・コーヴ』の上映中止により、通常の時間での公開が決まったという。
ザ・コーヴ』の上映中止については僕も知っている。『ザ・コーヴ』が「反日映画」なのか、「反イルカ漁映画」なのか、僕は知らない。観ていないからだ。伝えられている限りでは「反イルカ漁映画」であるらしい。その映画について抗議があり、映画館が上映中止を決定したという経緯は周知の通り。
 テーマが日本という国のあり方であろうがイルカ漁であろうが、素材は多いほうがいい。映画についていえば、観ないことには何も言えない。観たくない者は観なければいいのだ。誰も無理強いはしない。しかし観たい者の希望を阻害することは誰にもできないはずだ。
 そんな『ザ・コーヴ』の上映中止によって、『氷雪の門』の公開規模が広がったことは、皮肉としかいいようがない。
 明日、『ザ・コーヴ』の上映イベントがあるらしいのだが……残念ながら僕は参加できそうにもない。したがって僕は、『ザ・コーヴ』という作品そのものについては何もコメントできない。観ていないものについては語れない。語りえぬものについては、沈黙せねばならない。10.6.8