『ザ・ロード』

 夜、シャンテシネで『ザ・ロード』を観る。
 大傑作『ノー・カントリー』と同じコーマック・マッカーシー原作、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』や『イースタン・プロミス』と同じヴィゴ・モーテンセン主演と聞けば、期待しないわけにはいかない。監督は日本ではあまり知られていない人であることがやや不安だったが、ずっと前に公開された英語圏でのレビューはおおむね好意的である。
 同じ“終末期もの”である『ザ・ウォーカー』とどうしても比較してしまう。『ザ・ウォーカー』もいい作品ではあったが、終末ものの雛形である“SF”“アクション”からはみ出してはいない。それに対して『ザ・ロード』は、SFでもアクションでもないのだ。そのどちらもでもない“終末期もの”って、あまりないはずである。
 舞台はやはり文明が滅び、生き残ったわずかな人々が食料や燃料を奪い合う近未来世界。文明が滅びた理由が明らかにされないという設定は、子どもが生まれなくなった理由が説明されない『トゥモロー・ワールド』と似ている。
 主人公――親子――がひたすら旅をするというのも『ザ・ウォーカー』と同じ。『ザ・ロード』では、登場人物たちの名前は基本的には明らかにされないのだが、唯一、名前が明らかにされた登場人物の名前は、『ザ・ウォーカー』の登場人物と同じだったりする。
 しかし、『ザ・ロード』の主人公“男”は『ザ・ウォーカー』の主人公のように強くはない。強くないどころか、ときどき失敗もしでかし、大切な息子を危険にさらしたりもする。
 父は息子に語り続ける。そして息子は、父に教えられたことを、父以上に強く守ろうとする。『ザ・ロード』の親子と、『ザ・ウォーカー』のイーライが大切にしているものは、案外と似ていると思う。大切にする、その仕方が違うだけだ。
 秀逸。原作も読んでみよう(映画を観て感動し、原作がある場合にはそれを読む、ということを25年以上続けている)。
 帰りの電車のなかでパンフレットを読んでいると、その角が前に立っていた男性の背中に当たってしまったようだ。それにいらだったらしい彼は、僕に何か強い口調でいった。あいにく僕はiPodのイヤホンを付けていたので、彼が何を言ったかはわからなかったが、あやまっておいた。そして次の駅で人が動いたとき、僕はその場所から離れた。トラブルはごめんである。わずかな接触ぐらいで神経をいらだたせるような人間にはかかわりたくないし、同類になりたくもない。僕には子どもはいない。でも、失いたくないものは少しだけあるのだ。10.6.28