『科学は誰のものか』

昨夜はJCcastの収録だった。いつものように僕と山下君、赤木君が話題提供したのだが、今回は、武田さんが聴き手となって、インタビューのようなスタイルでトークを展開した。もうすぐjournalism.jpで公開されると思うが、ダダ漏れあるよ。http://tinyurl.com/2dabfdh


その帰りの電車で、平川秀幸さんの『科学は誰のものか 社会の側から問い直す』(NHK生活人新書)を読み終えた。買おうと思っていたのが、多忙でなかなか手が出ず、先日、大阪大学で参加した「アジェンダ設定会議」の後、ご自身から直接献本していただいた(ありがとうございます!>平川さま)。
『科学は誰のものか』というタイトルからも、「科学は、専門家に任せるな。」という帯のキャッチからも、著者の主張はクリアである(クリア過ぎるかな?)。そして僕もその主張に賛成である。
僕はこれまで、さまざまな経緯で「STS科学技術社会論)」や「科学コミュニケーション」について断片的に知り、それらの定義すらよくわからないまま、中途半端にかかわってきた(先日の「アジェンダ設定会議」もその1つ)。この本のおかげで、よく見えなかったそれらの全体像が、茫漠ながらもわかってきた気がする。STSや科学コミュニケーションに関する議論でよく使われる術語がゴチックで表され、簡潔に解説されているのはたいへんありがたい。「ユル系市民社会」、「世界の実験室化」といった著者オリジナルのタームもある。著者の個人的な体験からグローバルな社会問題にまで踏み込みながら、「科学は誰のものか?」という問いはどんどんと広がり、深められていく。
事例も抱負で、たとえばしばらく前のJCastでも取り上げた『不都合な真実』をめぐる“一人ひとり”問題や、「アジェンダ設定会議」のベースとなったサイエンスカフェなども含めて、どれも興味深い。「こう説明すればいいんだ!」とうなづきながら読み進めることができた。また、新書では情報の出典がしばしば省略されることが、僕はたいへん不満なのだが、この本では結構詳細な文献註が付いており、ブックガイドにもなる。
STS関係や科学コミュニケーション関係の本のなかには、失礼ながら、研究会を開いたことのアリバイにしか見えないものもあるが、この本は740円では安すぎるとも思える濃度。


科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

 

本日はいつものように御茶の水で作業。行き帰りの電車では『リヴァイアサン』を読む。そういえば平川さんの問題意識のきっかけの1つは、アレントだったとか。