追伸―エドワーズのノーベル賞受賞などについて

今週末は休むことができたので、神保町の神田古本まつりに行き、ついでに神保町シアターで、『森崎書店の日々』を観ようと思っていたら、あいにくの雨だ。真冬並みの気温で、台風接近とは、いったいどういうことだろう。
ということで、今日は月曜日の講義の準備をしていた。生殖技術、主に体外受精について話す予定なのだが、当然のことながら、ロバート・エドワーズのノーベル賞受賞について、その背景を踏まえて解説しなければならない。
体外受精を含む生殖技術、もしくはART(補助生殖技術)の世界的な動向についてまとめたレポートは、僕が知る限り、比較的最近だけで、2つも公表されている。
1つは2009年6月、フランスのジャック・デ・モウゾン医師らが2002年の時点の状況をまとめて、『ヒューマン・リプロダクション』で発表したもの。

  • 「世界的に、補助生殖技術すなわちARTの利用は、不妊問題に打ち勝ち、増え続け、多胎妊娠の懸念を残している、とレポートは述べる」、『ロイター通信』2009.6.4 http://tinyurl.com/2dvt7xj

 ART治療の周期数は、2000年の前回以来、推定25パーセント増加している、と著者らは述べている。一方、ARTによって世界中で生まれている赤ちゃんの数は、2000年の21万9000人から、2002年の24万6000人へと増えている。/2000年から2002年にかけて、妊娠率は、体外受精では19パーセント近く増加し、ICSIの後では19パーセント増加し、凍結胚移植(FET)では12パーセント増加している。その一方で、胚移植の数は減少している。

  • 「補助生殖技術についての世界的共同レポート、2002」、『ヒューマン・リプロダクション』2009.5.27 http://tinyurl.com/2fz33yr

補助生殖技術モニタリング国際委員会(ICMART)の第8世界報告書は、補助生殖技術(ART)の実態を、ARTの種類、女性の年齢、胚移植と多胎妊娠の数で分析し、2002年度の結果を出した。〔略〕2002年にARTを通じて生まれた赤ちゃんの数は、21万9000人から24万6000人だと推測された。〔略〕

 もう1つは2010年9月、「国際不妊学会連合(IFFS)」がもっと最近の状況を、もっと包括的にまとめ、『妊娠と不妊』誌で発表される予定のもの(すでにPDFが同学会のサイトで公開されている) 

  • 「ART(補助生殖技術)の国際調査を発表」、『バイオポリティカル・タイムズ』2010.9.23 http://tinyurl.com/2fsclay

「国際不妊学会連合(IFFS)」は『調査2010』を公表した。生殖補助産業について3年ごとに実施される世界的調査である。〔略〕2007年版との最も衝撃的な違いは、報告書に登場する国の数である。前回は59カ国であったが、今回は105カ国に跳ね上がった。〔略〕報告書は、以下のような項目の議論を含む。

  • ARTの法制度とガイドライン:35カ国にはどちらもない!
  • 多胎妊娠と胚移植の比率:それらを減少させる「緩やかな進歩」〔略〕
  • PGD(着床前診断)の利用:アルジェリアとスイスでは禁止。きわめて幅広い法的状況の下で、71カ国で実施
  • 性選択(新しい章、これまで利用可能なデータはなかった):43カ国で禁止。明確に許されているのはわずか15カ国。しかし26カ国で行われているらしい。しかし「対応には」一致しない「矛盾がある」

では日本の状況は、どうだろう? 
日本産科婦人科学会は毎年、生殖補助医療技術の現状をまとめているが、その最新版「平成20年度倫理委員会登録・調査小委員会報告」によると、2007年には、「新鮮胚」を使った体外受精は、11万5686周期行われ、9206件の「生産分娩」が生じ、1万338人が誕生している。つまり成功率(生産分娩/治療周期)は7.9パーセント。
一方、「凍結胚」を使った体外受精は4万5411周期行われ、8414件の生産分娩が生じ、9257人が誕生している。つまり成功率は18パーセント。
両方を合わせると2007年には1万9595人が体外受精で誕生している。人口動態統計によると、2007年の出生数は109万(推計)。全出生のうち、体外受精で生まれているのは1.79パーセント。
両方合わせた成功率(生産分娩1万7620件/治療周期16万1097回)は10.9パーセント、ということになる。
日本の人々が生殖技術についてどのような意識を抱いているかということも気になる。この件については、厚生労働省が「生殖補助医療技術についての意識調査」というものをまとめているのだが、ウェブ上では2003年度版しか見つからない……が、柘植あづみ先生の新作『妊娠を考える 〈からだ〉をめぐるポリティクス』(NTT出版)などによれば、「平成十九年度十一月」にまとめられたものがあるらしい。

妊娠を考える ―〈からだ〉をめぐるポリティクス (NTT出版ライブラリーレゾナント)

妊娠を考える ―〈からだ〉をめぐるポリティクス (NTT出版ライブラリーレゾナント)

なお同書は、体外受精出生前診断を含む生殖技術のみならず人口政策などを含めて、妊娠・出産にまつわるさまざまな事象を、著者の言葉でいえば、マクロな視点とミクロな視点の両方で、広く深く分析している。柘植先生の実施してきた調査報告は、これまで継続的に発表されてきたが、本書ではそれらの結果の要点が系統的に紹介され、そこに著者のさらなる分析が新たに加えられている。生殖技術の諸問題を知る上で必読書の1つであろう(なお柘植先生は僕の学位論文の主査であるため、僕の批評は客観的ではないかもしれない。念のため。僕も受講した授業を元にしたものらしい)。
エドワーズのノーベル賞受賞も、こうした文脈を踏まえて理解する必要があるだろう。

〔略〕体外受精はヒト胚性幹細胞研究にとっても重要である。というのは、その細胞は、不妊クリニックに残された胚から得られるからである。同時にこの技術は、ヒツジのドリーを1996年にクローンした基礎をつくることにも役だった。この手順は、実質的に、人間で試されうる。〔略〕体外受精は社会に対して多くの前提を再検討するよう迫った。体外受精を使うことによって、今日の子どもは、その遺伝子を提供した1人の“母親”、子宮を提供した別の母親、彼または彼女を育てるまた別の母親、というように、幾人もの親を持つ。家族の構成者は、卵子精子、子宮を親戚に提供してきており、伝統的な家族関係を混乱させている。この手順はまた、同性カップルが遺伝的に関係のある子どもを持つことを可能にすることにより、同性愛者の権利をめぐる議論を引き起こしてきた。〔略〕

体外受精は多くの家族に喜びをもたらした一方で、その共同開発者へのノーベル賞は、体外受精技術によってもたらされた倫理的問題を思い起こさせる。〔略〕現在、多くの先進国では、新生児の2〜3パーセントが体外受精児である。ノーベル委員会によれば、これまで約400万人が生まれている。最初の“試験管ベビー”ルイーズ・ブラウンの誕生は、1978年である。〔略〕商業的な体外受精の32年の歴史による重要な教訓の1つは、この技術についての恐れの多く――体外受精者はフランケンシュタイン・モンスターのようにみなされる、とか、体外受精は、さらなる人口増加につながる、とか――には、ほとんど根拠がなかった、ということだ。〔略〕ラボで人間の生命をつくるという科学者たちの展望は、厄介な倫理的問題をもたらしてきた。直近の問題は、受精したのだが、使われない胚についての問題である――体外受精をした親たちの多くにとってはきわめてリアルなことだ。〔略〕アメリカでは、体外受精研究は連邦の助成金を受け取れない。このことによって実入りのいい体外受精産業が成立した。しかしこのことが意味するのは、不妊の理由についての基本的疑問の多くは、いまだに未知である、ということである。体外受精のアウトカムを向上させるかもしれないのに。