車内暴力考

 グーグルなどの検索エンジンで「車内暴力」を検索してみると、「All About」の防犯に関する記事が見つかり、その冒頭には、

電車内での暴力事件が、多発しています。尊い命を落とした被害者もいて、通勤の電車に乗るのも命がけです。/女性が痴漢の被害を恐れるように、男性は車内暴力の被害を恐れているでしょう。/とはいえ、仕事で疲れてチョット一杯と、お酒も飲んでいたりして、うっかり誰かの足を踏んでしまうこともありえます。それがもし、不満を抱えた柄の悪い若者だったら…? キレる若者に、どう対応するのがよいのでしょうか?

http://allabout.co.jp/gm/gc/55600/

 と書かれている(著者は偶然にも知人だったりする)。
「多発している」という記述を見ると疑ってしまうのは、僕の悪い癖だ。そういえば、車内暴力防止を呼びかけるポスターもよく見かける。そこには、

暴力行為は見るのもイヤだ。
キレたとか、ムカついたなんて理由にならない。

 というコピーが書かれている。
 国土交通省鉄道局が警察庁のデータをもとにまとめた資料によれば、少なくとも2000年から2007年までの7年間で、駅や車内における犯罪(の認知件数)の総数は減っている。しかしこの資料が注意を喚起するのは、確かに窃盗などは減っているのだが、旅客や駅員などへの暴力行為はむしろ徐々に増えていることだ。いや、車内のものだけを見れば7年間で倍になっているので、激増といってもいいかもしれない。棒グラフを見る限りでは、約500件が約1000件に増加している。このデータは乗客への暴力行為と駅員への暴力行為を合わせたものである。

 この数字はあくまでも警察庁が把握している認知件数であって、実際にはもっと多くの事例があるはずだ(そのなかには僕の経験も含まれる)。検索エンジンを使えば、驚くほど多くの人が車内暴力に遭ったという経験をブログやツイッターSNSの日記に書いていることがすぐにわかる。

 最近よく報道されるのは、駅員に対する暴力だ。日本民営鉄道協会は、2005年から2009年までの駅係員に対する暴力行為の発生件数をまとめている。それによれば、その間、発生件数は708件から869件へと増加している。このデータはあくまでも駅係員に対する暴力行為であって、乗客への暴力行為が含まれていないのが残念なのだが、この調査で興味深いのは、暴力行為が起きた日時や加害者の内訳を分析していることだ。ご想像通り、夜間、週末、年末に多い。加害者の6割は飲酒している。そして加害者の年齢に偏りはない。
 繰り返すが、こちらのデータは駅係員に対する暴力行為のものなのだが、乗客に対する暴力行為でもおそらく同じような傾向があるのではなかろうか。そしてマナーとかモラルとかいうと、すぐにターゲットにされるのはいうまでもなく若者だが(上記の記事が典型)、このデータからは、若者だけを非難し、道徳なるものを押しつけるのは論理的にも倫理的にも間違っている――少なくとも不公平である――ということになる。加害者の年齢に偏りはないのだ。
 加害者に年齢に偏りはない、すなわち中高年も若者もマナーやレベルという次元では、同じくらい悪いとしたら、カネや権力――「権力」というのが言い過ぎならば「特権」――を持っているほうとそのどちらも持っていないほうの、どちらがより悪質だろうか。答えは明らかだ。

 僕は過去数年で、いわゆる車内暴力やそれに近いことに何度かまきこまれている(記憶しているのは4回)。その加害者はすべて酔った初老の男性だったということは偶然かもしれない。またそれ以上に、何度も目撃している。自ら介入してとめたことも何度かある。そのうち記憶に残っている例では、被害者も加害者も30〜40代の女性で、加害者は明らかに酔っていた。

 では、こうした経験やデータにもとづき、僕は、車内暴力の撲滅を訴えるべきなのだろうか。それ以前に、僕は、こうした車内暴力におびえているのか。もちろんそんなことはない。日本社会では、酔っぱらった中高年のちょっとした暴力行為も気になるくらいに、そのほかの暴力や犯罪が減っているということを再確認しただけである。アルコールの有害性は調査・議論する価値がありそうだ。