『ジャライノール』

 仕事にあいまに新橋へ。

 先日、サイエンスアゴラの帰りでは、ちょっとした思い出のある「汐留口」が工事中だと思ったのだが、勘違いしていた。それは「銀座口」で、工事中ではなかった。記憶違いと思い込み。

 TCC試写室で、『ジャライノール』という映画の試写を観る。
「ジャライノール」というのは、中国の内モンゴル自治区のロシアとの国境付近の地名らしい。
 物語は、炭坑で働く年老いた男と若い男を中心に進む。いや、物語といえるほどの展開はない。年老いた男が退職し、娘夫婦の住む街に向かう。なぜか若い男がそれについてくる。台詞は断片的。行動は不可解。そして美しい光景。炭坑、蒸気機関車……。
 最初、時代設定がよくわからなかったのだが、いちどだけ携帯電話が登場するので、現代のようだ。
 中国というと、北京オリンピックとか上海万博とか、確実に経済大国になりつつある国、というイメージがあると思うが、奥地に行けば、まるで時間が100年前で止まったかのような世界で生きている人々がいるのだ(この印象は『長江にいきる』や『さくらんぼ』を観たときに近い)。アメリカといっても、日本人が思い浮かべるのは西海岸や東海岸の街だろうが、中央、とくにその南部にはそれらとまったく違う世界がある(らしい)、ということと同じ。
『ジャライノール』は、炭坑や蒸気機関車、そして素朴な人々に象徴される、消えゆく美しいものを、ゆったりと描いている……ことは事実なのだが、この映画が消費されるのは、間違いなく“オリエンタリズム・マーケット”だろう。監督も地方出身者ではなく、北京出身で、北京電映学院の卒業生である。本人の意図はともかくとして、この映画の立ち位置は、『ノルウェイの森』の公開が待ち遠しい、フランス在住のヴェトナム人監督トラン・アン・ユンの『青いパパイヤの香り』や『夏至』に近くないだろうか。
『ジャライノール』を絶賛するのは、都市に住むエリートばかりに違いない。蒸気機関者が登場するので、一部の“てっちゃん”たちが期待しているようだが、彼らが観ても、たぶん失望するだろう。そして『ジャライノール』の世界に生きる人々は、映画などという都市の産物とは無縁である。彼らの姿を商品化することには、疑問がないわけではない。僕もそれを消費している一人なのだが……。