『ノルウェイの森』

 夕方、いつものシネコンで『ノルウェイの森』を観る。
 小説やマンガなどが原作になっている映画が公開されると、原作に深い思い入れをもつファンは「原作のほうがよかった」、「裏切られた」という感想を抱くことが多いようだ。僕にもそんな経験がないわけではない。
僕はどちらかというと、映画を観て感動したら、その原作を読んでみる、そしてさらに感動したら、同じ著者の別の作品も読み進める、というパターンが多いようだ。つまり映画が先であることが多い。映画によって原作への思い入れが裏切られるリスクが少ない代わりに、映画がいまいちだと、よい原作を読み逃すというリスクがある。とにかくまあ、とりあえず僕の映画経験、読書経験にはそんな傾向がある。 
 僕は『ノルウェイの森』を何回読んだだろうか? たぶん数十回だ。
 前述した通り、原作がある映画については、しばしば「原作のほうがよかった」という感想を聞く。しかし小説と映画は、まったく異なるメディアである。「どちらがいいか?」という比較は不可能かつ無意味ではなかろうか。映画と原作との関係はきわめて複雑である。疑う者は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』/『ブレードランナー』、を読め/観よ。形式的には、前者は後者の原作小説であり、後者は前者の映画化作品であることになっているが、両者の関係はそんなに単純なものではない。
 しかしながら、映画をベースにする場合、その原作との距離を測ることはできる。この台詞は忠実に再現されている、このシーンは省略されている、この設定は変更されている……といったように。しかしながら、その距離と、映画としてのよさとは何の関係もない。比較的原作に忠実で、駄作の映画もあれば、基本的な設定以外は原作とはまったく違うのに、名作といえる映画もある。疑う者は(以下、省略)。
 前置きが長くなってしまったが、僕は『ノルウェイの森』が映画化されることを知ったとき、「あまり期待しないで観よう」と思った。期待すると、裏切られたときのダメージが大きい。とくに僕は原作に思い入れがあるので、その可能性がきわめて高い。だから期待せずに、何気なく観に行こうと思っていた。
 しかしながら、キャストが決まったり、映画祭で上映されたりしたことなどを伝えるニュースに接するたびに心がざわめいた。予告編を観たときには、背筋が凍りついた。僕はめったに前売り券を買わないのだが、今回は買ってしまった。
「予習」と称して、原作者つながりで『風の歌を聴け』(DVD)と『神の子どもたちはみな踊る』(劇場)を観た。監督つながりで『青いパパイヤの香り』と『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』を観た(どちらもDVD)。もちろん原作も読み直した(僕は何をやっているのだろう、とも思った)。
 そして今日、公開日を迎えた。
 結論として、よいか悪いか、と聞かれれば、よかったと答える。少なくとも、僕はこの映画を罵倒するつもりはない。
 少し気になったのは、原作を読んでいない人には、わかりにくかったのではなかろうか、ということである。前述した通り、小説と映画は別ものなので、映画は原作を読んでいない人の鑑賞に耐えてこそ、よい映画であるはずだ。
 たとえば永沢やレイコなど副主人公たちの背景の説明がほとんど省略されていた。あれでは彼らの奇妙な行動がそれぞれそれなりに理由があることがわからないのではなかろうか(僕を含む原作を読んだ人であれば、そうした問題はないだろうが)。
 また、ストーリー展開がやや唐突だと感じた。原作を熟読している僕ですらそう感じたのだから、読んでいない人はよけいにそう思うだろう。単行本で上下2巻の小説を2時間の映画にまとめるためには仕方ないのが……。
 よかったことは、直子と緑という、どちらも深く傷つきながらも、対照的な行動を見せるキャラクターが、たいへん豊かに描かれていたことだ。とくに直子については、あれ以上は望めないだろう。菊地凛子のあの演技で、原作の直子の雰囲気が再現されていない、という人がいたら、明らかに求めすぎである。
 原作では周知の通り、ワタナベをはじめとする登場人物たちが機知に富んだ会話を続ける。映画では、そんな気障で都会的ともいえる彼らの会話とワタナベの1人語りが延々と続くかと思っていたが、最低限に抑えられていた。
 阿美寮の光景が素晴らしかった。正確には、阿美寮の周りの自然のなかをワタナベと直子が歩いたり、佇んでいたりするシーンだ。よけいな台詞を重ねるよりも、2人の孤独な心のありようを描ききっていたと思う。
 とにかく悪い印象はない。甘すぎるだろうか。僕にとってよい映画の条件とは、何度でも観たくなることが条件の1つなので、それがわかるまでには、もう少し時間がかかる。
 ほかの村上作品も映画化されるかもしれない。企画はあるのだろう、たぶん。観ないうちから罵倒するようなことは愚かである、とだけいっておく。


追伸;
 日本ではここ数年、愛する人が重い病いにかかって死んでしまう、という物語を描く映画が流行している。この映画もまた、その流行のなかで消費されてしまうことがやや残念である。