『海炭市叙景』

年末年始の日本は狂っている。そのピークが12月24日だ。そんな日に渋谷に行くなんて自殺(もしくは無差別破壊)も同然だと思ったが、そうせざるをえない事情もある。
僕のところには毎月数枚、映画の試写状が届く。たいへんありがたいので、できるだけ時間をつくって観に行くようにしている。しかしどうしても時間をつくれなくて観ることができず、申し訳なく思ったことが何度もある。
今夜、ユーロスペースで観た『海炭市叙景』もその1つだ。太秦という宣伝会社が試写状を送ってくれたのだが、残念ながらどの日時も都合をつけられなかった。「村上春樹らと並び評されながら不遇に終わった佐藤泰志」という作家が遺した小説を映画化した、という試写状の案内文がとても気になっていた。気になっているうちに、あちこちで好意的なレビューが次々と書かれた。他人の評価はともかくとして、僕としては、村上と並び評され、しかも自殺した作家が地方を舞台に書いた小説の映画化、というだけで観ずにはいられない。村上は東京(と京都の近く)を舞台にして、登場人物が次々と自殺する小説を書き、それが映画化され、今年公開されたばかりなのだ(ちなみに村上は札幌を舞台にした小説も書いている)。
もし「文芸映画」というジャンルがあるのならば、映画『ノルウェイの森』と比較されるべき作品は、『海炭市叙景』であろう。ちなみに僕は不勉強にも佐藤泰志という作家を知らなかった。
登場人物はみな、北海道の海炭市という町(モデルは函館であろう)に暮らす、ごく普通の人々である。いや、どちらかというと、人生がうまくいっていない人々ばかりだ。彼らが暮らす海炭市自体、うまくいっていないらしい。彼らは、洒落た会話なんて少しもしないし、音楽や小説について蘊蓄を傾けたりはしない。解雇されたり、立ち退きを迫られたり、家族とうまくいかなかったり……そんな普通の人々それぞれの小さな物語が、海炭市を舞台に、ほんの少しだけ交差する。
別々の物語が所々で交差するという展開は、映画の演出技術としては、キシェロフスキのトリコロール三部作、ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』、イニャリトゥの『バベル』などですでにおなじみだが、邦画では珍しい。また、それらの作品で見られたような劇的な展開は、『海炭市叙景』にはない。それぞれの物語はひたすら淡々と進む。舞台となる時期が公開と同じ年末年始というのは偶然だろう。携帯電話などがあることから、時代設定は現在らしいが、海炭市の年末年始は、東京のそれほどは狂っていない。しかしそのことは、海炭市の人々が東京の人々よりも幸福であることを意味しない。海炭市にじわじわと迫る閉塞感は、やはり今年公開された邦画『悪人』で見られたそれと似ている(周知の通り、『悪人』の舞台は九州のいくつかの県である)。
傑作といっていいだろう。原作を読みたいと思ったが、ユーロスペースでは売り切れだった。また、見本の値段を見たところ、僕にとっては少々高い。早く文庫化してほしい。
また、せっかく試写状をもらったときには、できるだけ観に行こうとと痛感した。もちろん試写状をもらうという特権には、それなりの義務がともなうことも承知している。つまり、たとえブログであっても、単なる感想ではすまされず、いくらかでも批評と呼べるものを試みなければならない。僕はそのことを自覚していると確認しておく。


追記その1;
佐藤泰志の作品は文庫化されている、とtwitterで指摘されました。失礼しました。ぜひ読んでみます。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

追記その2;
いまさら思い出したのですが、複数の短編小説を1つの映画にまとめあげるというスタイルは、ロバート・アルトマンが、レイモンド・カーヴァーの複数の短編を1つの映画にまとめた『ショート・カッツ』を思い出させます。


追記その3;
以下、24日夜に撮影したもの。

みんな東京医科歯科大学を見上げていると思ったら……。

ユーロスペースの1階は、いつのまにか映画美学校になっていた。

男子トイレの壁。『ゲゲゲの女房』の映画版をやっていたからだろう。