恒例――今年の収穫ベスト3

みなさま、今年もお世話になりました。毎年恒例となりました、今年の収穫ベスト3を書きます。
いつものように順不同で。テキストは再録のものを含みます。


●『ザ・ロード』(ジョン・ヒルコート監督)
http://www.theroad-movie.jp/index.html
大傑作『ノー・カントリー』と同じコーマック・マッカーシー原作、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』や『イースタン・プロミス』と同じヴィゴ・モーテンセン主演と聞けば、期待しないわけにはいかなかった。監督は日本ではあまり知られていない人であることがやや不安だったが、ずっと前に公開された英語圏でのレビューはおおむね好意的であった。
同じ“終末期もの”で、日本では同じころに公開された『ザ・ウォーカー』とどうしても比較してしまう。『ザ・ウォーカー』もいい作品ではあったが、終末ものの雛形である“SF”“アクション”からはみ出してはいない。それに対して『ザ・ロード』は、SFでもアクションでもないのだ。そのどちらもでもない“終末期もの”って、あまりないはずである。
舞台はやはり文明が滅び、生き残ったわずかな人々が食料や燃料を奪い合う近未来世界。文明が滅びた理由が明らかにされないという設定は、子どもが生まれなくなった理由が説明されない『トゥモロー・ワールド』と似ている。
主人公――親子――がひたすら旅をするというのも『ザ・ウォーカー』と同じ。『ザ・ロード』では、登場人物たちの名前は基本的には明らかにされないのだが、唯一、名前が明らかにされた登場人物の名前は、『ザ・ウォーカー』の登場人物と同じだったりする。
しかし、『ザ・ロード』の主人公“男”は『ザ・ウォーカー』の主人公のように強くはない。強くないどころか、ときどき失敗もしでかし、大切な息子を危険にさらしたりもする。
父は息子に語り続ける。そして息子は、父に教えられたことを、父以上に強く守ろうとする。『ザ・ロード』の親子と、『ザ・ウォーカー』のイーライが大切にしているものは、案外と似ていると思う。大切にする、その仕方が違うだけだ。


●『彼女が消えた浜辺』(アスガー・ファルハディ監督)
http://www.hamabe-movie.jp/
イランの映画。映画好きの僕でも、イラン、というか、日本、アメリカ、ヨーロッパ以外でつくられた映画を観る機会は残念ながら少ない。少ない機会を逃さないように、と思って試写で観てみたのだが、予想以上に秀逸だった。ストーリー自体は、とくにイランあるいはイスラム圏が舞台であるということを意識する必要はあまりないものであり(もちろんところどころにイスラム圏的なエピソードもなくはなかったが)、日本やアメリカでリメイクされてもおかしくない。題名通り、“行方不明もの”なのだが、『フライトプラン』や『フォーガットン』のような浅はかな作品ではない。むしろ、女性が突然消えるというストーリーの中核は、僕には村上春樹の一連の小説を思い起こさせた。とくに短編「納屋を焼く」や『アフターダーク』。それら以外でも、村上作品ではしばしば女性が姿を消すことは周知の通り。脚本も書いたという監督は、もしかすると、村上に影響を受けたのでは、と思ったのだが、まさかね。結末は、やや曖昧に描かれている。観客の解釈にまかせる、という態度は、嫌いな人もいるかもしれないが、僕は作品として正しいと思う。もっと曖昧にしてもいいのでは、と思ったぐらいだ。
日本、アメリカ、ヨーロッパ以外の国々にも、知られざる映画作品がまだまだあると思われる。以前に比べたら、レンタル店にもだいぶ入荷されるようになった。最近のものは比較的よく揃えられているようだが、やや古いものは少なくとも僕の近所の店では見あたらないことが多い(そしていわゆる“韓流”への偏重は気になる)。古いものも含めてどんどんDVD化され、レンタル店に入荷されることを強く希望する。


●『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督)
http://www.norway-mori.com/index.html
小説やマンガなどが原作になっている映画が公開されると、原作に深い思い入れをもつファンは「原作のほうがよかった」、「裏切られた」という感想を抱くことが多いようだ。僕にもそんな経験がないわけではない。
僕はどちらかというと、映画を観て感動したら、その原作を読んでみる、そしてさらに感動したら、同じ著者の別の作品も読み進める、というパターンが多いようだ。つまり映画が先であることが多い。映画によって原作への思い入れが裏切られるリスクが少ない代わりに、映画がいまいちだと、よい原作を読み逃すというリスクがある。とにかくまあ、とりあえず僕の映画経験、読書経験にはそんな傾向がある。 
僕は『ノルウェイの森』を何回読んだだろうか? たぶん数十回だ。
前述した通り、原作がある映画については、しばしば「原作のほうがよかった」という感想を聞く。しかし小説と映画は、まったく異なるメディアである。「どちらがいいか?」という比較は不可能かつ無意味ではなかろうか。映画と原作との関係はきわめて複雑である。疑う者は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み、『ブレードランナー』を観るといい。形式的には、前者は後者の原作小説であり、後者は前者の映画化作品であることになっているが、両者の関係はそんなに単純なものではない。
しかしながら、映画をベースにする場合、その原作との距離を測ることはできる。この台詞は忠実に再現されている、このシーンは省略されている、この設定は変更されている……といったように。しかしながら、その距離と、映画としてのよさとは何の関係もない。比較的原作に忠実で、駄作の映画もあれば、基本的な設定以外は原作とはまったく違うのに、名作といえる映画もある。疑う者は(以下、省略)。
前置きが長くなってしまったが、僕は『ノルウェイの森』が映画化されることを知ったとき、「あまり期待しないで観よう」と思った。期待すると、裏切られたときのダメージが大きい。とくに僕は原作に思い入れがあるので、その可能性がきわめて高い。だから期待せずに、何気なく観に行こうと思っていた。
しかしながら、キャストが決まったり、映画祭で上映されたりしたことなどを伝えるニュースに接するたびに心がざわめいた。予告編を観たときには、背筋が凍りついた。僕はめったに前売り券を買わないのだが、今回は買ってしまった。
「予習」と称して、原作者つながりで『風の歌を聴け』(DVD)と『神の子どもたちはみな踊る』(劇場)を観た。監督つながりで『青いパパイヤの香り』と『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』を観た(どちらもDVD)。もちろん原作も読み直した(僕は何をやっているのだろう、とも思った)。
そして公開日を迎え、その日に観た。
結論として、よいか悪いか、と聞かれれば、よかったと答える。少なくとも、僕はこの映画を罵倒するつもりはない。
少し気になったのは、原作を読んでいない人には、わかりにくかったのではなかろうか、ということである。前述した通り、小説と映画は別ものなので、映画は原作を読んでいない人の鑑賞に耐えてこそ、よい映画であるはずだ。
たとえば永沢やレイコなど副主人公たちの背景の説明がほとんど省略されていた。あれでは彼らの奇妙な行動がそれぞれそれなりに理由があることがわからないのではなかろうか(僕を含む原作を読んだ人であれば、そうした問題はないだろう)。
また、ストーリー展開がやや唐突だと感じた。原作を熟読している僕ですらそう感じたのだから、読んでいない人はよけいにそう思うだろう。単行本で上下2巻の小説を2時間の映画にまとめるためには仕方ないのが……。
よかったことは、直子と緑という、どちらも深く傷つきながらも、対照的な行動を見せるキャラクターが、たいへん豊かに描かれていたことだ。とくに直子については、あれ以上は望めないだろう。菊地凛子のあの演技で、原作の直子の雰囲気が再現されていない、という人がいたら、明らかに求めすぎである。
原作では周知の通り、ワタナベをはじめとする登場人物たちが機知に富んだ会話を続ける。映画では、そんな気障で都会的ともいえる彼らの会話とワタナベの1人語りが延々と続くかと思っていたが、最低限に抑えられていた。
阿美寮の光景が素晴らしかった。正確には、阿美寮の周りの自然のなかをワタナベと直子が歩いたり、佇んでいたりするシーンだ。よけいな台詞を重ねるよりも、2人の孤独な心のありようを描ききっていたと思う。
とにかく悪い印象はない。甘すぎるだろうか。僕にとってよい映画の条件とは、何度でも観たくなることが条件の1つなので、それがわかるまでには、もう少し時間がかかる。
ほかの村上作品も映画化されるかもしれない。企画はあるのだろう、たぶん。観ないうちから罵倒するようなことは愚かである、とだけいっておく。
日本ではここ数年、愛する人が重い病いにかかって死んでしまう、という物語を描く映画が流行している。この映画もまた、その流行のなかで消費されてしまうことがやや残念である。


○〈選外佳作〉『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)
http://www.kaitanshi.com/
年末年始の日本は狂っている。その渦中、ユーロスペースで観た。
村上春樹らと並び評されながら不遇に終わった佐藤泰志」という作家が遺した小説を映画化した、と紹介されていたことがとても気になっていた。他人の評価はともかくとして、僕としては、村上と並び評され、しかも自殺した作家が地方を舞台に書いた小説の映画化、というだけで観ずにはいられなかった。村上は東京(と京都の近く)を舞台にして、登場人物が次々と自殺する小説を書き、それが映画化され、今年公開されたばかりなのだ(ちなみに村上は札幌を舞台にした小説も書いている)。
もし「文芸映画」というジャンルがあるのならば、映画『ノルウェイの森』と比較されるべき作品は、『海炭市叙景』であろう。ちなみに僕は不勉強にも佐藤泰志という作家を知らなかった。
登場人物はみな、北海道の海炭市という町(モデルは函館であろう)に暮らす、ごく普通の人々である。いや、どちらかというと、人生がうまくいっていない人々ばかりだ。彼らが暮らす海炭市自体、うまくいっていないらしい。彼らは、洒落た会話なんて少しもしないし、音楽や小説について蘊蓄を傾けたりはしない。解雇されたり、立ち退きを迫られたり、家族とうまくいかなかったり……そんな普通の人々それぞれの小さな物語が、海炭市を舞台に、ほんの少しだけ交差する。
別々の物語が所々で交差するという展開は、映画の演出技術としては、キシェロフスキのトリコロール三部作、ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』、イニャリトゥの『バベル』などですでにおなじみだが、邦画では珍しい。複数の短編小説を1つの映画にまとめあげるというスタイルは、ロバート・アルトマンが、レイモンド・カーヴァーの複数の短編を1つの映画にまとめた『ショート・カッツ』を思い出させた。しかし、それらの作品で見られたような劇的な展開は、『海炭市叙景』にはない。それぞれの物語はひたすら淡々と進む。舞台となる時期が公開と同じ年末年始というのは偶然だろう。携帯電話などがあることから、時代設定は現在らしいが、海炭市の年末年始は、東京のそれほどは狂っていない。しかしそのことは、海炭市の人々が東京の人々よりも幸福であることを意味しない。海炭市にじわじわと迫る閉塞感は、やはり今年公開された邦画『悪人』で見られたそれと似ている(周知の通り、『悪人』の舞台は九州のいくつかの県である)。
傑作といっていいだろう。原作を読みたいとも思った。


○総評
今年はそれなりの本数の映画を観ることができました。あいかわらず、続編とリメイクばかりでうんざりさせられました。しかし数多く当たれば、自分なりに好意的に評価できる作品に出会えなくもありませんでした。
インセプション』や『シャッター・アイランド』は、ほかの人が選ぶでしょうから、僕は外しました。
ご覧の通り、ベスト3に絞ることができませんでした。『海炭市叙景』と『ノルウェイの森』は、どうしても比較してしまうのですが、ほんの少しだけ、原作贔屓をしてしまいました。申しわけありません。しかし、『海炭市叙景』も間違いなく傑作です。全国に順次拡大するようなので、未見の方はぜひ観てください。
来年もよい作品と出合いたいものです。みなさま、よいお年を。