『ソーシャル・ネットワーク』

 夜、近所のシネコンで『ソーシャル・ネットワーク』を観る。
 映画が始まる前、僕から見て右斜め下に座っていたカップルのうち男のほうは、iPhonetwitterらしき画面を見ていた。僕が女だったら、いっしょにいるときネットに接続する男なんてサイテーだと思う。でもそんな感覚はもう古いのだろう。そんな光景をこの映画を観る前に目撃したのはつまらない偶然。
ソーシャル・ネットワーク』は周知の通り、デビッド・フィンチャーの新作で、世界一のSNSフェイスブックの誕生を、創始者マーク・ザッカーバーグと彼が訴えられた裁判を中心に描いている。事実に基づいているが、脚色されている部分もあるとのこと。いくつかのサイトによれば、この映画の制作にはフェイスブック側はかかわっていないらしい。
 アメリカ人、というか、現代人の最も醜い姿が描かれている。ザッカーバーグはじめ登場人物はみな自分のことしか考えていないくせに、他人とつながりたがっているように僕には見えた。そんなのは身勝手だろう。(そういえばマイケル・クライトンの遺作『NEXT』で描かれていたアメリカ人たちがそんな感じだった。クライトンの作品はしばしば映画化されてきたが、これはされないのか。)
 アメリカの映画やドラマでよく出てくるように、この映画の舞台であるハーバード大学には、選ばれた者だけが入会を許される“クラブ”のような集まりがある。日本の大学にあるのかどうかは、僕は誘われたことがないので知らない。映画では、そうしたエリートたちの“クラブ”に対抗するようかたちで、ザッカーバーグがネット上にフェイスブックの前身のSNSを立ち上げる。しかしクラブに出入りするエリートたちも、オタクのザッカーバーグたちも、僕には大同小異に見えた。そういう現代人の醜さ、あるいは、お互いにつながっているようで切り離されている様子、一種の孤独感がよく描かれていた。そういう意味では興味深い映画だった。
 事実とどこまで同じでどこからが創作なのかは僕にはわからない。
 映画が終わり、エンドロールが流れ始めると、席を立つ人がいる。エンドロールを見るか見ないかはもちろんその人の自由。彼は歩きながら、もうケータイの画面を眺めていた。
 同じくフェイスブックが登場するもので、「Catfish」というドキュメンタリー映画があるらしい。こちらは事実に基づいたドラマではなく本当のドキュメンタリーで、映画祭などではかなり話題になったようだ。漏れ伝わってくる限りでは、こちらのほうが(はるかにマイナーな作品だが)面白そうだ。東京MXTVの番組で放映されたのかな? DVDになってレンタル店に入ることを希望。