『現代思想』2月号「特集 うつ病新論」
明日27日発売の雑誌『現代思想』2月号「特集 うつ病新論」で、「バイオ化する社会 うつ病とその治療を例として」という論考を寄稿しました。うつ病とその治療について考察したものです。同じ号に、斎藤環、美馬達哉、小泉義之各先生も寄稿しています。お読みいただければ幸いです。この内容で1300円は安いと思います。
『現代思想』への寄稿はひさしぶりだ。たいへん光栄なことに、目次の右隣が美馬さんだったりする(ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル.)。うつ病というテーマは、以前から関心はあったのだが、一般向けの本を何冊か読む以外のことはしていなかったので、とてもいい機会だった。依頼からわずか1カ月で、それなりの情報量のあるものを書ける、という筆力がまだある(回復した?)ことを確認できたこともよかった。2010年3月の学位取得以来、それなりにまとまった論考を書いたのは(たぶん)初めてである。声をかけてくれた編集者には心から感謝している。
ところで僕は物事を考えるとき、「事実」と「論理」と「倫理」という3つの基準を測りとして使うことにしている。事実を調べるのは得意だ。そうした事実から見えることを論理的に組み立てて、何が主張できるかを導くことも、それなりにできるようになったと思う。少なくとも10年前よりはずっとましなはず。
しかしながら、いつも躓くのは倫理の地平だ。何かよくて、何がいけないのか。それは僕が常日頃感じていること、心がけていることにしたがうしかない。僕と同じような考え方の傾向の人には、それなりに話が通じるのではないかと思う。しかしながら……まったく異なる傾向の人に対してはいかがだろうか。
努力はしている。またこうして雑誌の特集のなかで高名な先生方と名前(だけ)が並ぶのはたいへん光栄だ。研究会などで議論に参加させていただくことも。しかしいつも強烈な違和感を感じることも事実だ。
それは僕と彼らとの間に徹底的に大きな溝があるからであろう。その溝によって、何がよいのか、あるいは悪いのか、ということについて、その意味や価値について、考えていることがあまりに違う。溝というより谷であろう。あるいは門かもしれない。「掟の門」。だが、いまはそのことは措くことにしよう。
お手にとっていただけたら幸いです。今度ともよろしくお願い申し上げます。