『愛しきソナ』

 夜、渋谷の「relations.試写室」で、『愛しきソナ』というドキュメンタリー映画の試写を観てきた。この試写室に来たのは初めてである。床が水平になっているため、前に人が座っているとそれだけでスクリーンが見にくい。あまり好ましいとはいえないだろう。それはともかくとして……。
『愛しきソナ』は、在日コリアン2世の女性監督ヤン・ヨンヒが、1970年代に北朝鮮に移り住んだ兄の娘、すなわち姪であるソナの成長を、ピョンヤンに通って追い続けたドキュメンタリー映画である。同監督には、朝鮮総連の活動家だった父のとの葛藤を描いた前作があるらしいが、残念ながら僕は未見。
 プレスキットにもあるように、北朝鮮といえば、軍事演習であったりマスゲームであったり政治動向であったり、またはジャーナリストの潜入取材によって明らかにされてきた貧困や脱北者問題であったり、ネガティブなイメージを与えられがちである。
 しかし、この映画が焦点をあてるのは、北朝鮮に暮らす、ごく普通の人々の生活である。当然だ。監督が自分の家族を撮ったのだから。画像の質感など全体的な雰囲気は、失礼ながらホーム・ムービーに近い。それも当然であろう。彼らの家庭での団らんなどの風景は、少し古い感じもするが、日本のそれとそう大きく違うわけではない(40年ぐらい前の日本と似ているかもしれない)。
 しかし、ここは北朝鮮なんだと気づかされる場面はいくつもある。たとえば、一般の国民がめったに行くことのない、外貨が使えるレストランや店舗に監督である叔母に連れて行ってもらうことを、姪や甥がすごく楽しみにしていること。水道の供給が1日にたった2時間しかないこと。それでも、日本に住む同胞からの援助がある彼らの生活は、北朝鮮のなかでは良質のほうだろう。とくに地方では労働党にコネがない人々の生活は悲惨きわまりない、ということは、石丸次郎氏をはじめとするジャーナリストの調査などですでに知られている。
 先日、金正日の息子の1人が、シンガポールエリック・クラプトンのライブを鑑賞したことなどが報道されたが、石丸氏らの報道を思い出したり、この映画を観たりして、やるせない気持ちになった。
 映画はソナの成長を追う。それは明るい側面ばかりではない。彼女の生みの母親は5歳のとき、子宮外妊娠が原因で死亡した。監督の父親、つまりソナの祖父は脳梗塞で倒れた。そして監督は、前作『ディア・ピョンヤン』の発表が原因で北朝鮮に入国できなくなる。そして2009年には、監督の兄、つまりソナの父と、監督の父、つまりソナの祖父が相次いで世を去る。監督はソナにはしばらく会っていないらしい。ソナから監督へ、大学の英文科に合格したことを英語で伝える手紙が届き、映画は終わる。
 どうしても比べてしまうのは、昨年に観た『クロッシング』という韓国映画である。『クロッシング』は基本的にはフィクションらしいが、脱北者へのかなり周到な取材にもとづきつつ、北朝鮮の貧困と圧政、脱北者問題を正面から描いた社会派ドラマだった。『愛しきソナ』で描かれる北朝鮮の家庭は、比較的恵まれた人々のものであることは忘れないほうがいい。
 なお僕にとって最も衝撃的だったシーンは、北朝鮮の演劇が行われる建物の前で、ソナが監督に対して、カメラを切って、と頼んだシーンである。ソナは監督に対して、どんな演劇を観たかと聴き、監督はアメリカや日本の演劇について話した。ソナは興味を持ったらしく、その話を続けるよう監督にせがんだ。以上のやりとりは、映像ではなく、テロップのみで再現される。つまり撮影できなかったことこそが、ソナが生きざるを得ない世界をみごとに表現しているのでなかろうか。
 繰り返すが、映画として観ると、ホーム・ムービーのような稚拙な完成度だいう印象がないわけではない。しかし、だからどうしたというのだ。北朝鮮に生きる人々の本音がうかがえるシーンは、いくつもある。彼らも僕らと変わらない人間だ。豊かに楽しく、自由に生きたい。それだけのことだ。多くの人に観てほしいと思った。