『ヒアアフター』

 夜、いつものシネコンで、『ヒアアフター』を観る。いわずと知れたクリント・イーストウッド監督の最新作。「ヒアアフター」とは「来世」という意味らしい。主な登場人物は3人。津波に巻き込まれて臨死体験をしたパリの女性ニュースキャスター。事故で双子の兄を亡くしたロンドンの少年。そして死者と対話できるという特殊な能力のために傷つき、いまはそのことを隠して生活しているサンフランシスコの元霊能力者の男性。
 3人それぞれが「死」に翻弄されつつ、ある種の成長をともないながら、人生の道を見出していく。並行して進むそれぞれの物語が、クライマックスで1つにつながる、というのはよくあるパターンだが、よくできていれば飽きることはない。何度観てもいいと思う。そして3人の孤独な心は癒され、観客の多くもその感覚を共有したに違いない。
 ところで何年か前、脳死・臓器移植について、人前で何人かの論客と議論する、という機会があった。
 一通りの議論が終わった後、一般参加の人が「来世はあると思いますか?」と聞いた。脳死・臓器移植を推進、とまではいわないものの、どちらかというと体制肯定的な意見をもっているらしいある学者は「あると思います」と自信ありげに答えていた。一方、僕は少し迷ってから、「あるかどうかはわからない。死を体験したことはないので。でも、『ない』という前提で考え、いまの人生を全力で生きるほうがいいと思う」と答えたと記憶している。質問者は僕の答えはスルーし、もう1人のほうの答えを反芻していた。残念ながら、僕の意見は万人受けはしない。
ヒアアフター』を観ながら、そんなことを思い出した。
 それにしても、次から次へと作品を量産し、しかもそのほとんどすべてが佳作といっていいクリント・イーストウッドはすごいと思う。たとえ作品に込められたメッセージすべてには共感できないとしても。