『バビロンの陽光』

 午後、東銀座の東劇3階にある試写室で、『バビロンの陽光』というイラク映画の試写を観る。イラク映画というのは珍しい。もしかすると、僕は初めて観たかもしれない。
 主人公は少年とその祖母。クルド人らしく、少年はアラビア語も話すが、祖母はクルド語しか話さない。
 少年の父であり、祖母の息子の男は10年以上前から行方不明。 2003年、フセイン政権が崩壊した後、2人は父/息子を探す旅に出る。ちょっとしたロードムービー仕立てなのだが、そんなにカッコのいいものではない。2人はさまざまな人々との出会いと別れを繰り返しながら、父/息子を求めて旅する。
 最終的に2人が辿りつくのは、おびただしい数の死者が葬られている集団墓地と呼ばれる場所だ。プレスキットによれば、イラクでは過去のたびたびの戦火によって150万人もの人々が行方不明となり、300もの集団墓地があるという。そこで見つかる遺骸の大部分は身元不明であり、この映画の背景には、そうしたイラクの社会事情が背景にあるらしい。
 そして映画は、結末らしい結末もなく、唐突に終わる。ハリウッドや日本でつくられる商業映画に慣れていると、映画には起承転結の結、つまり“オチ”があるものだと思いがちだが、ミニシアター系でかかる映画には、そのような“オチ”がないものは少なくない。実は、そのほうがリアルだったりする。現実の生活には、“オチ”などないのだから。
 それはともかくとして、観た印象は悪くなかった。映画史に残る傑作とは言い難いが、なかなかのものではなかろうか。やはりプレスキットによれば、イラクでは年間3本しか映画がつくられないらしい。イラクを舞台にしたハリウッド映画――その多くがイラク戦争関係――が量産されていることを考えると、ちょっと複雑である。